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経済現象解読のための熱力学のすすめ


なぜエントロピーなのか

第1の階層

ミクロ経済学の公理は効用最大化である。効用が最大化したところで消費行動は一時的であるにしろ停止する。

化学反応においてはエネルギーを最小化するかエントロピーを最大化したところでやはり停止する(欲求とは脳内の化学反応に他ならないことを思えば、ミクロ経済学がこれを反映していてもおかしくはない)。(図1参照)

化学反応において電子軌道は混成軌道となり電子が取ることのできる状態数は増加する。


第2の階層の前に第3の階層

まず、図1にも示したとおり統計力学的エントロピーは状態数WからS=klnW(kはボルツマン定数)として定義される。

本来、無性生殖によっても増殖できる単細胞生物や植物ですら有性生殖の手段を有しているのは遺伝的多様性の確保、つまり状態数を増加させておくことでそのどれかが次の自然環境に適応し、それが種を維持できるようにするためである。

マクロ経済学の本来の目的は恐慌の回避である。これはつまるところ社会環境への適応に他ならない。また、マクロ経済学で重要な指標として国内総生産がある。すでに第1の階層でエントロピーを価値の候補として見定めたため、国内総生産を統計力学的エントロピーであると考えることにすれば、確かにそれを増大させることの重要性が生物との類推から理解できる。注意しなければいけないのは、国内総生産は付加価値の総というように価値から価格にすり替えられていることである。エントロピー自体は相加性があり、系Aでのエントロピーと系Bでのエントロピーを足し合わせること(に意味を持たせること)ができるが、後述の第2の階層のマルクス経済学同様、技術的な問題からなのか、価格という測度に置き換えて計算がなされるのである。なお、マクロ経済学はリーマンショックのように恐慌を完全には防ぎきれていないが、これは状態数に基づくエントロピーでは社会の構成という質的な部分を捉えきれないことを示唆しているのかもしれない。エントロピーはまた結び目理論的にも構成できるが、社会という絡み目がいくつの結び目、すなわちサプライチェーンから構成されているかということが重要なのかもしれない。


第2の階層

マルクス経済学の中心的な主張である搾取の構造(持つ者が持たざる者から奪うという構造)をヒントに、経済活動を熱力学との類推で捉えると図2のようになる。

マルクス経済学は労働価値説を採用し、労働力の価値(実際は価格)を時間で規定することで搾取を結論づける。しかし、労働力を一律に時間で規定してしまうと、マルチタスクでバリバリ生産活動を行う人は不満であろう(筆者はシングルタスクしかできません)。そのため、能力に応じて時給を設定したり特別手当を支給することも少なからず考えられる。しかし、それを許せばもはやどこにも搾取などという実態は存在しない。評価は妥当だと言い張られたらそこでおしまいである。時間的に変化する要素を持ち、労働者間に不満を与えず、搾取を結論づけられる量は何か。他ならぬエントロピーである。最もこれは図2にも示したとおり、本来的に価格評価して貰えなかった部分の労働力によって生じた利潤(ハンナ・アーレントに習えば仕事)に対してであり、それ以外の妥当な価格評価をして貰えている部分に対しては(ハンナ・アーレントに習えば労働、これがまたややこしい)素直に出来高、つまり、どれだけ生産できたか、文字通りの仕事(熱力学に習った)として規定されるべきである。(労働(力)とは時間を擲って得た業務知識を製品に変えていく過程だから(その価値(本来は価格)は評価によって確定する))

エントロピック重力理論からも分かるように、エントロピーは時間と密接な関係がある。しかし、よく間違われていることだが、やはりイコールという訳ではなく、可逆過程では時間は明らかに経過しているにも関わらずエントロピーは増加していない。あくまで、エントロピーが変化するとしたらそれは(系全体としては)増加の方向であり、したがってエントロピーが増加しているなら時間が経過していたということである。

だからこそ想定より生産活動が進行していないと(実際にはトラブルに対処したりしていたとしても)サボっていた、つまり何もしていない空白の時間、停止していた時間があったと評価されてしまうのである。

次に、

つまるところ、社会が成熟するにつれ、新たに情報が加わったとしてもならではの特別な仕事がなされることはなくなっていく。これはさながら個体発生に伴う細胞分化が完了した状態のようである。

若き日のマルクスは分業を否定していた。マルクス経済学の全体的な文脈からすれば、マルクスの言う自由で全面的な発展というものは多能性の獲得を意味するのかもしれない。エントロピーの増大とともに細胞分化が進行するのだとしたら、1つの状態に複数が入ることを許して、見かけ上、状態数を減らせば初期化が行えるのではないか。
実際、親は自らの増大するエントロピーを利用することで、いわばエントロピーがゼロの受精卵を作り出す(逆に局所的にエントロピーを減少させることで自身のエントロピーをギリギリまで増大させようとしているとも解釈できる)が、生殖細胞というものは、がん細胞、iPS細胞とともに、数少ない無限に増殖することが許された細胞である。

最後に、再び経済の話で幕を閉じたい。
効用価値を採用しようが労働価値を採用しようが現実に社会では需要予測に基づいて製品の生産を決定し、製品の生産過程で労働価値が生じ、製品の消費過程で効用価値が生じている。価値というものがどちらにせよエントロピーであるとするならば、それが増大している以上、不可逆過程なのであり、良くも悪くも無かったことにはならない。そしてその大元になっているのは需要という概念である。つまり、需要という概念は不可逆性を保証するものである。競争とは断熱過程であると図2に書いたが、式2の熱力学的なエントロピーの定義からするとその場合エントロピーは決して増加しないように思える。しかし、実際には不可逆性が保証されている場合、断熱過程でもエントロピーが増加する。有名なものだと輸送現象がある。つまり、人や物、情報を運ぶことはとても価値が高いことなのである。しかし、そういった数少ない例を除けば、やはり断熱過程というのは好ましいものではない。熱が情報であるならば熱容量は情報容量であり、温度は図1で示したとおり情報収集力なのであるから、熱力学との類推により情報の増分は情報容量と情報収集力の増分の積となり、式2に代入して積分すれば、
(価値)=(情報容量)×ln(情報収集力)
となる。これは、結局のところ効用価値説的な考え方にはなってしまうが、価値とはつまるところ見出すものなのかもしれない。また、情報容量は増大させるにしても限界がある(外付けでは効果が薄い)ため、情報の圧縮を考えた方が良いかもしれない。だからこそ9つの分野が実際に1つの概念を究めることで習得できるのだとしたら、それは価値あることなのだと考えられる。

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