They echo inside me
とりあえず、ひと段落。今年は分掌的にもしんどかったし、ほとんど毎月100時間超えの残業だったりで人の生き方としてはどうなのかな?って感じることもあった。いつもストレスというか、ここは何とか乗り切ったのか?まだか?って感じの生活がずっとあって、それは私だけじゃなくって何人かの職員は同じように感じていたと思う。
私は講師という身分だから、簡単に逃げることもできる。でも逆にみんなが逃げるところなら、私は講師でも切り込んでいくことができる。私は年度初めに後者を選んだ。もっと言えば、数年前からそうだったと思う。
前の仕事を辞めたときは、何となく教員が足りないならなってみようかな?ってつもりだったから、今のような覚悟はなく、興味本位だった。こんなに労働条件が悪いなんて思ってなかった。
ただ、仕事の適性で言えば向いていると思う。私は人が好きだ。もっと言えば、思考が好きだ。どうしてそうなったのかという部分をなぞるのが、絵を描くようで面白い。思考とは人生の形象だと思う。その、人の思考をなぞるのが好きなのだ。そこに人はいない。信条がなければ、獣と変わりないものだからこそ、写し出される何かがある気がしている。
「どうして先生になったんですか?」と聞かれたら、
「教員が足りないって聞いたから」と答える。
「どうして教員を続けるんですか?」と聞かれたら
「傍にいるのが子どもだったなら、大人として頑張れるから」と答える。
「教員という仕事が好きですか?」と聞かれたら
「働かされすぎるなら、嫌いです」と答える。
本当にしんどかった。
「まだ続けますか?」と聞かれたら
「一応、転機はあったので、まだ続けます」と答える。
緊張が途切れて疲れてしまって体調も悪く、今日はいつもよりは早く帰った。帰り道に、ふと本屋に寄って本を手に取っているうち手が止まらなくなって、この一年はずっとアウトプットばかりで本を読めていなかったなって気づいた。誰かに言われたことをしたり、誰も分からないことを考えたり、できないことをやるしかないことばかりだった。でもそこに勉強は必要なかった。
睡眠時間さえなかったのだから教材研究の余地なんて微塵もなかった。昼食だって空き時間がなければ食べれない。部活動にだってほとんど関われなかった。たくさんの大人に飼い殺されるような感覚。私が前の仕事で唯一、気になって何とかしなくちゃなって思っていたこと。
「自分で学べない大人が、世の中にはたくさんいるんだな」ってこと。
誰かに聞けば、誰かに頼めば、簡単に出来てしまう仕事はたくさんある。私は技術屋だったから、上司が自分でやれば簡単に終わる仕事を、部下の教育も兼ねて育てて行くことが当たり前だったし、ありがたいことだなって感じていた。
教員は一律で平社員、臨時採用の講師ですら平社員より大きな仕事を持たされる。自分にできないことは平気で他人に任せても大して給料に影響することもない。残業代が払われないのだから時間外に働くだけバカを見る。だから、自分で学ぶよりも誰か聞いたり任せることが一番賢い選択になる。そんな中で免許更新による研修が必要だなんてよくもまあ言えたもんだ。
その代償を背負わされているんだなって、残業時間を見るたびに思う。
別に同僚が憎いわけじゃない。
早く帰る理由がある人を責めることもない。だらだらと仕事をする人をバカにすることもない。部活動が好きで土日に出て来て頑張ってる人だって、それを嫌々やらされている人だって、みんな頑張ってると思う。私には出来ないことをやってくれている人。だから私もそれなりに頑張っていた。
みんな頑張っていなかったのなら、とっくに諦めている。
就労時間内に誰かに仕事を教わることなんてないし、見様見真似で積み重ねていくしかない。上手くいかないこともたくさんあって、それが何でなのかって検討することもあれば、飲み会であーだこーだって語り合うこともある。コロナ禍で飲み会が無い分、しんどいのもあるとは思うけれども。
それと私には、呪いがある。私は「金星」という歌が好きだ。
最後に笑うのは正直な奴だけだ
出し抜いて 立ち回って
手に入れたものはみんな
すぐに消えた
ねぇ この夜が終わる頃 僕らも消えていく
そう思えば 僕にとって 大事なことなんて
いくつもないと思うんだ
私はロックが好きだから、結局、どんな問いもこういうところに落ち着く。
大事なことって何だろう?
子どものため?持続できる働き方のため?やりたいことのため?
答えは人の数だけあって、それぞれの人の中にあるロックならどんなときもソレが支えてくれるから。私は、人それぞれでいいと思ってる。
私は、私のやりたいことをやるだけで。それがたまたま教育のためになるかもしれないから、まだ続けられるんだろうなって感じる。
私は思考が好きで、それが別にどんな状況であったとしても関わってしまうのだ。目の前にいる人が自分のロックを語っていたら、いいね!ロックだね!それ最高じゃん!って応援したくなる。
大人になったら学ばなくなる。生活があるから頑張れなくなる。
自分の時間を大切にしたい、家族を大切にするロックだってきっとある。
時間だけが足りないのだ。
やりたいことが多すぎるのだ。
人が少なすぎるのだ。
だから、やりたいことは減らすしかない。
私はバカだから、諦めるのは全然ロックじゃねえなって感じてしまう。
この過渡期でハチャメチャだからこそ頑張れるんだろう。
働きやすい職場にはなってほしい。でもやりたいことができない職場なら、私は全然頑張れないんだろうなって思う。そこらへんは正直、難しい。
ただ救いなのは、子どもたちの中には無限にロックが存在する。
なんてワガママな奴なんだ!!って毎日でも言えるくらいに。
それは技術屋の時もそうだったけれども、大人は流石に限度がある。
お金と時間に際限があってショボくなるけど、それはそれで楽しかった。
子どもたちにはそれがない。原石デカすぎるだろって本当に思う。
そして、その原石を削るために身を粉にして頑張ってる人たちと
語り合ったりしたら、この人達もロックだな!自分も頑張ろう!ってなる。
本当に、呪いだと思う。でも、それが生きる力なんだよな。
My favorite songs My favorite TV shows are never ending
My favorite books My favorite radio shows will never die
They echo inside me
No need to understand me
一つだけ。最後に言い忘れていたことがある。
「学校教育に未来はありますか?」と聞かれたら
「ありますよ」と答える。
「人が生きて、世界が平和である限り、学校は絶対になくなりませんから」
現場に残ってまだまだ頑張ってくれる先生のみなさん。
現場を離れても教育に関わってくれる関係者のみなさん。
一年間、お疲れ様でした。明日からも、がんばっていきましょう。
そして、ウクライナでの戦争が、早く終結しますように。
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