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渇きを力に変えていく
「 知らないみんなが 同じ場所にいて 同じ方を向いて
晴れるのを待って 目を合わせて 汗をかいて
頭が空っぽになったとき 私たちみんなの夏が 始まって 終わる 」
偶然というものについて、人は何を思うだろう。
自分で何かを選んで、偶然を探しあてたとき、好きになったとき
その関係はなぜだか続いてしまうものだ。
たとえば、学校では『ネットは危ない、知らない人と会うのはよくないよ』と教えるけれども、私のネットの友達というのはそういう人たちばかりで、特別仲良くなるわけでもないけれども、今でもなんとなく元気をもらったりしてる。地元の友達とも会ったりはするけれども、変に知り過ぎていると意識してしまうものがあったりするから、そういう背景が無い関係はとても気楽だ。そういう気楽さは、偶然の中にあるような気がしてならない。
何となく出会った音楽、映画、漫画、詩…
作家とは関係なく、いきなり作品がぶつかってきたとき、余計なことは何も考えずに、ただ感じることができる。
偶然というのは計算できるものじゃなくて、ある程度の熱量の塊がぶつかり合ったときに、想像以上の反応があったときに感じるものだ。
子どもの頃は新しい出会いなんてたくさんあった。世の中には知らないことだらけで、毎日が楽しく過ごすことができた。辛いことがあっても、小さな何かを見つけるだけで幸せになったりした。
そういうものを、忘れないように生きるにはどうすればいいか。
ふとした瞬間に大きな虹が見えたり、帰り道に花火が見えたり、会いたい人に出会ったり、美味しい食べ物を見つけたり、星が綺麗な夜だったり。
それを渇きと気づくために、何を感じて生きていくべきか。
「 高校2年の夏は 二度と来ない 私は 何をするんだろう
何かしないと たぶん 今日と同じ 明日 」
頭が空っぽになる。夢中になる。考えずに何かができること。
そういうものをもらったり、与えたりしながら、生きている。
与える方に関しては仕事だから偉くもなんともないのだけれども、それは狙ってできることでもなくて、ただ何となく、少しでも笑顔が増えるように考えることしかできない。その結果も偶然でしかない。
毎日少しずつ新しいことを覚えながら、その偶然を導くために人事を尽くして天命を待つ。そうはいいつつも、その人となりさえ分かれば勘も冴えてくる。一緒に楽しくなれる空気があれば何も怖くない。私を助けてくれる人さえ出てくるだろう。そういう雰囲気を作ることが大切で。
そう、誰かを笑顔にすることができる人になれたら
それはきっと、私の渇きを満たすものだ。
それが誰かにとっての偶然で、日々を彩るための思い出になることを願う。
そうやって潤って、がんばって汗をかいて、渇いてしまっての繰り返し。
この緊張と閉塞感の中で、自分に何ができるのか。そのチャンスを、どうすれば与えることができるのか。みんなが同じ方を向いて、この夏をどう作っていくのか。それは少し楽しみだったりもする。
世の中は政治がどうとか、岩手がどうとか、災害がどうとかって話題が多いけれども、私はもっとクリエイティブな方が好きだから、どうしたら今を楽しめるかって方を考えたくなる。
たとえばフェイスガードに落書きとかして写真を撮ってみたりとか。思い出はそのままで、事実には少しだけ味付けをして楽しめるように工夫する。
普段ならできない、そのときだから出来ること、偶然を楽しめるように。
渇きを、力に。
「 私たちは またねと言いながら 別れるだろう
でも この景色は 忘れないだろう
誰かと一緒に何かをすることは やっぱり こんなにも 」
P.S.
この曲どっかで聴いたと思ったらHaruka_nakamura!前回に引き続き