「生きているだけで素晴らしいんだ」って言えるまで
巷で耳にするほどに広がった #教師のバトン だけれども、どこまで大きくなってどういう影響を及ぼすかは分かりませんが、どう期待するべきかも分からないですね。一先ずは様子見という感じです。同じように給特法に対する裁判がありますがこちらもどうなるのかなぁって感じです。
CALL4ドキュメンタリーVol.2「人間を育てる教員に、人間らしい働き方を」
よくもこんな職場にしやがって!クソ野郎!!って官僚とか政治家に向かって天誅!!!ってしないところが教員らしいというか何というか。現場では70超えても80過ぎても働いてくれている先生がいますが、本当に「働いてくれている」状態なので変に倒れたら困るから校務分掌とか渡せないし、部活動なんてもってのほかです。授業時数的に確保は出来たとしても校務分掌的なしわ寄せは現場の若い人に覆いかぶさって、私も講師の身分でチーフを2つも頂けることになりました。
2つも持つの?正職員でもチーフ持たない人がいるのに??最初はちょっと意味が分からなかったのですが、私がゴネたところで変わりが見つかるわけもないので、とりあえず引き受けました。去年も実質2つだったし。今年はジャンルが違うものも持たされるということで、もはや臨時採用ってのはスーパーマンなんじゃないかな?って感じです。
(講師なのに…)もう新任の人よりも長い間、同じ学校にお世話になっていて、そろそろ主任とかしなくちゃいけないのかな?って心持ちになってしまうし、今年飛び込んだ学年団の先生には「10年研ってどんな感じですか?」って聞かれるくらいで。いや、初任研も知りませんけれども。って答える始末。笑えますけどね!
4月当初から先日までは連日0時まで管理職と一緒に働いて(管理職がいるからまだマシ?)いましたが、私は土日の出勤を減らしても管理職はまぁまあ出勤してるので、すでに残業が100時間を超えています。2週間で100時間オーバーってなかなか過酷ですね。私は70~80くらいかな?って感じです。
人間らしいかどうかはさておいて、人間扱いはされていないとは思います。卒業生が暇つぶしに遊びに来ても私はGIGAスクールの対応に追われて、相手できなくてごめんね!って感じです。椅子に座る余裕はありません。みなさんが帰って19時くらいにやっと席に座れる感じ。子どもがいなくてもそうなるので、子どもが来てからどうなるのかな?って感じでしたが。案の定って感じで新年度を迎えています。
現場は混沌としていて、新卒ちゃんも転任ちゃんもカオスな状況で意味分からんけど、とりあえずやろう!って勢いで頑張ってくれてます。彼らも倒れないように気をつけます。なんで私が?って考えるのは一旦やめましょう。そのストレスは、教育上よろしくない。だからこそ、ちゃんと学校の問題に向き合ってくれている人たちのことは応援したいなって思います。
逆に性犯罪とかで捕まってる人とかは何なんだろうな。そういうプレイの一環として成り立っている職業ってのが教員ってなってるのはつまり、教員の質というよりも、学校の価値が下がっているんだろうなって思います。
それは必然というか、団塊世代を中心として票を集める政治家が、票集めの活動家であるかぎり、消費者として一番多い世代を世論の中心とする限りは、そうならざるを得なかったんだろうなって感じです。自分達の孫の世代になって、教育ヤバくない?って意見が集まりつつあるという状態。まぁ、それで少しでも変わるならいいんじゃないかなって思います。
ヤバさの基準が違いますけどね。昔は働く分には楽な仕事。子どもからすれば変なオッサンと怖いおばさんが先生。って感じでしたが、今は法律にも守られないゾンビ企業みたくなってる。
あー。愚痴っぽい話はここらへんまでにしましょう。
離任式を終えて、抜けてしまった大きな穴を考えながら、教育って何だろうなぁって、また考えるようになりました。教採生らしい頭ですよね。でもどちらかと言えば、学校の核になる人について考えたりするようになりました。どういう人材がいたら学校が安定するのかなあってところです。
人間関係は心に余裕がないと難しくなりがちで、それは子どもも大人も同じなわけで。頭では分かっていても出来ないことってのはたくさんあります。自分の個性だったり、相手との相性だったり、どういう人生を過ごして、どういう思想を持っているかってところもあったり。
新年度は不登校だった子どもも出てきやすいので、自分の授業の時に不登校の子を見かけたら「よーしよしよしよしよし…」ってムツゴロウさんみたくなりますが、それもまた相性ですよね。その子どもにとって、少しでも学校に行ってみたい。会ってみたい。ってなれる気持ちは大切です。
CALL4の先生の言葉にもありましたが、教員の仕事は「一人一人をどう育てるか」を目的としている。ってのは担任として大切なところではあると思います。私は、小学校は教科として興味が持てなかったので無理だったのですが、人格形成的には面白いかなあとは思います。素直だし嘘も分かりやすいから中学校ほどのややこしさは無いですよね。1年間ずっと一緒だから一人一人を見る時間も嘘に付き合ってあげる時間もある。
逆に言えば、中高の先生は一人一人に向き合う時間が少ないからこそ何が出来るかってところだとも思います。担任としては以前にも書いたので省略しますが、本音を話せるようになるってのが肝だとは思います。引き出し方は人それぞれ。
じゃあ、学年や学校単位で大切な人材って何だろうって。今年は特に、スーパーマンみたいな引っ張られ方をされたこともあって、余計に考えさせられました。私は独身だから出来ているけれども、家庭を持ったり介護が必要になれば時間的な制約もできるから、きっと今のようには働けないとは思います。でもそこらへんは努力すれば何とかなる能力的な要素です。必要となれば誰にでもできる仕事です。学校の安定にはもっと、誰にでも簡単にはできない、核になる要素が必要です。
離任式で影響の大きかった先生の言葉とかを思い出すと、何か熱いものがあったように思います。それはどうやって培ってきたのかは分からないけれども、経験や才能だけじゃない何かがあったような気がします。何か一言でそれを表現しようとしたときに、ふと目に入ったのが『覚悟』という言葉でした。いざというとき(といいつつ、学校ではよくあるんですが)覚悟があるからこそ、いろんなことを発言したり行動することができるのかなぁって。
子どもも意外とそういうところが見えるから、尊敬の眼差しを持つことができるんだろうって感じたりします。覚悟を身に纏うこと。簡単じゃないし、人によって何が合うかも分からないけれども、ジャンプ漫画的にもよくあるやつじゃないですか。今週のあの漫画もそんな感じだったなあって(ぇ
私もこの3年間は一つの簡単な覚悟を纏っていたし、その影響力はそこそこあったのですが、担任を持たない学年ってのはあんまり経験したことがないので、今年はちょっと別の経験が出来る楽しみもあるかなって思います。授業とオーラで勝負しなくちゃいけない世界。新しい扉を開いた感じです。
そんなことを言いつつ心に余裕があるのは、授業が楽しいってのが一番なんだろうなって思います。子どもに会えないのに謎に仕事が多すぎて残る時間のストレスって半端ないし、外食もロクに出来ないってなって、ストレスフルな日々を過ごした後に、子どもに会うと癒されます。
担任としての自信も持てたし、授業も何となく余裕が出てきた。後はどんな校務分掌を主体に持っていくかですよね。キャラ的に生徒指導は向いてない気はしますが、クラス内では生徒指導が人間臭くて一番楽しいですよね。保護者が出てくると大変になりますが、そうでないところで解決できれば子どもたちが一番、成長できるイベントのような気はします。
明日も休日出勤のお金でない管理職命令もない仕事だけれども、子どもの為ならがんばるぞー!おやすみなさい(この思考がいつもヤバい)