陸前高田
先月のこと。
2023/8/10〜11
奇跡の一本松ホールでの演奏会へ出演するため、陸前高田へ行ってきました。
陸前高田を訪れるのは今回が初めてです。
私の所属している女声合唱団の音楽監督を、高校時代の音楽の先生がしてくださっているのですが、岩手県立高田高校の音楽部出身の方が、「一緒にコンサートをしませんか」と先生へお声がけしてくださったことがきっかけで、コンサートが実現する運びとなりました。
奇跡の一本松
陸前高田を訪れるのは初めてなので、コンサートの前に少し陸前高田を案内してもらいました。
奇跡の一本松は、津波の中でも耐え抜き、奇跡的に倒れずに残った松です。しかし、生きた状態で残していくことは難しく、海水により、震災の1年後には枯れてしまっていることが分かりました。現在残っているものはレプリカです。
レプリカとして残していくことには「そこにそんなにお金をかけなくても…」と賛否両論あったそうですが、街のシンボルとして、震災の記憶を伝える存在として残されています。
一本松の近くには震災遺構のユースホステルや、気仙中学校がありました。
震災遺構を残す条件は、「その場所で亡くなった人がいないこと」。
近くの気仙中学校も震災遺構として残っていますが、海の近くということもあり、日頃から避難訓練を沢山していたそうです。
気仙中学校の素晴らしかったのは、第一避難場所は、実際は津波が来る恐れがあったそうで、咄嗟に判断し、第一避難場所よりも高いところへ避難し、全員生き残ることができたということでした。
震災に関しては、その被害の大きさばかりがクローズアップされがちですが、海の近くでも、日頃の成果を発揮して生き残った人たちがいる、そういうところにも目を向けていってほしい、とガイドさんはいつもお話しされるそうです。
山の青と海の青。海がいつでも見えた街は、現在は防潮堤が高く連なっていますが、堤防を超えた先の景色もまた幻想的でした。
最近は一部、海水浴場がオープンしているそうです。「白砂に波はくだけて」とある通り、かつては白い砂浜が広がるビーチとして有名な高田松原の白砂は、津波で「流されてしまいました」。
浜辺の砂を「流された」と表現するのは、江戸時代に、人工的に白い砂を運んできた、という歴史があるからだそうです。
ねがい桜
「二度と散らないねがい桜」がある普門寺さんにも行きました。
震災の追悼のため五百羅漢を作成するプロジェクトがかつてあったそうです。
(なんと500体目を作成したのはコーラスのメンバー!)
亡くなった方に似せて彫る方、ビールを飲んでいるような羅漢様を彫る方など、色々な人の想いが込められています。
そして「二度と散らないねがい桜」
亡くなられた人の数だけの桜が吊るされていて、ギネス認定もされたそうです。
普門寺さんの奥には、阿弥陀来迎図があり、阿弥陀様の周りでは楽器を持つ菩薩の姿がありました。津波で流されてしまった方は、すぐ阿弥陀様が助けてくださったから、生き残った人は「なぜ自分だけが」と思うのではなく、命を全うしてほしいと話しているそうです。
また、長野の善光寺など全国から送られてきた仏像がまつられているほか、マリア様の姿まで。
五百羅漢のプロジェクトには、ヨーロッパの方、つまりキリスト教徒である方々も参加していたそうです。
和尚さんは、宗教というものはすべてが人が幸せになるために存在する。しかし、宗教というものが国家権力に使われた瞬間に、戦争を引き起こすものに変わってしまう。本来宗教というものはそういうものではない、と、お話しくださいました。
生きなければいけない
陸前高田には、震災の傷を抱えても、たくましく生きる人の姿がありました。生命力に満ちている、誰かのために生きている。少しのことでは動じない。
私は割と、嫌なことがあるとすぐに「もう死にたい」とか言ってしまう人間なのですが、自分のちっぽけさを、今回ただただ思い知らされました。
私は幸い、学校の先生という職に就き、誰かのために生きるきっかけを持てています。2学期、生徒のために何ができるだろう。音楽という分野の発展のために何ができるだろう。少し挫けそうになったら、陸前高田のことを思い出そうと思います。
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