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フランスで増えた日本映画の時間 - ジャンルを問わず映画館へ

先週末、フランスの小さな町の映画館で『窓ぎわのトットちゃん』を観た。

パリから遠く離れた、観光地でもない普通の町。

しかし、その小さな映画館で、私は心温まる体験をした。

上映はもちろん、VO(Version Originale)- 日本語音声にフランス語字幕がつく形式だ。

これはフランスの映画館では珍しいことではない。

世界中の映画が、その国の言語で上映されることが一般的だからだ。

もちろん、フランス語吹き替え(VF:Version Française)で上映されることも多いが、アメリカ映画、韓国映画も、イラン映画も、ドイツ映画も、そしてもちろん日本映画も、オリジナルの言語で観客の前に姿を現す。

VFは、フランス語話者向けに映画の台詞が吹き替えられる形で、物語に親しみやすくする方法だが、VO(オリジナル音声)では、言語そのもののニュアンスや雰囲気をそのまま感じることができる。

映画が始まると、どこか懐かしい日本の風景が広がった。

トットちゃんの自由奔放な性格、トモエ学園の個性的な授業、そして子どもたちの生き生きとした表情。

それらが、美しいアニメーションで描かれていく。

フランス人の観客たちと共に、日本語の台詞を味わいながら物語に浸っていく時間は、どこか特別な感慨を伴う。

トットちゃんの純粋な言葉が、日本語のまま観客の心に届いていく様子だった。

字幕を通してではあるが、彼女の感情の機微が、言葉の響きとともに伝わっていく。

これは吹き替えでは決して得られない体験だろう。

映画館を出る時、耳にした会話が印象に残っている。

年配の女性が友人に「日本語の響きが素敵だったわ」と話していた。

彼女たちは物語の内容はもちろん、言語そのものの美しさにも心を開いていたのだ。

フランスの映画館で、VFだけではなくこうしてVOでの上映が定着しているのは、映画を芸術作品として深く理解しようとする文化があるからだろう。

言語の壁を超えて、作品本来の姿に触れようとする姿勢。

それは単なる鑑賞スタイルの違いを超えて、異文化への深い敬意を表している。

映画館を出た後、ふと気がついた。

実は私、フランスに来てから日本にいた時よりも頻繁に映画館で日本映画を観るようになっていた。

日本では「この監督の作品は」「このジャンルは」と選り好みしていたのに、ここでは日本映画の上映があると聞けば、ジャンルを問わず足を運ぶようになっていたのだ。

私は思いがけない形で日本映画のファンになっていった。

母国から離れて初めて気づく、日本映画の持つ普遍的な価値。

そして、それを大切に扱うフランスの映画文化。

夕暮れの町を歩きながら、次はどんな日本映画と出会えるだろうと、静かな期待を胸に抱いていた。

皮肉なことに、異国の地で私の日本映画との関係は、より深く、より豊かなものになっていったのだ。


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