【本】日常のなかから温もりを掬い上げる
こんにちは。
この記事を読んでくださり、ありがとうございます。
土曜日の昼下がり、今週も平日を終えてほっとひと息。書きたいと思っていたことをようやく書ける~と、ほくほくした気持ちでパソコンに向かっています。
書きたいなぁと思っていたのは、最近読んでいる本と、それにまつわる思い出のお話。ちょっと長くなってしまいそうなので、お暇なときにでもぜひ、お付き合いください。
最近のお気に入り本
文筆家の安達茉莉子さんの「毛布ーあなたをくるんでくれるもの」というエッセイ集を、ここ最近、寝る前にちびちびと読み進めている。
安達茉莉子さんの作品は、昨年、「私の生活改善運動」を読んだのが初めてであったが、扱うテーマやその思考・哲学が、まさに今の私の心にドンピシャであり、読み始めてすぐ「この人の作品、好き!」となった。
今読んでいる「毛布」は、タイトルから連想されるように、弱ってしまったとき、傷ついてしまったときに、そっと毛布を掛けて温め癒してくれるような、そんな本。
安達さんが経験してきたエピソードと共に、悲しみや別れ、思い出との向き合い方、生活の中で自分を大切にケアすること、などについての考察が書かれている。
”これまで確かに感じていたけど、輪郭がはっきりせず言語化できないでいたこと”を、丁寧に、はっきりと言葉にしてくれている、そんな感じのする本だ。
日常の中の、生きている実感
本書の中に、「日常について―生まれてきたのだから」というエッセイがある。
安達さんが二十代の頃、当時の仕事があまりに激務で、”自分の生きる時間を仕事に奪われている”と感じていた時のことが書かれている。
当時の仕事を辞める前、一度思い立って午後半休をとり、公園に行った安達さんは、”平日の昼間に歩くだけで細胞が震えるくらい、身体が喜んでいる”のがわかったという。
思い出した、ひとり暮らし時代のこと
これを読んだとき、「あぁ、確かに私にも、この瞬間があった」と思い出した。
20代の終わりから30歳のはじめにかけて、ひとり暮らしをしながら週5日、医療機関で働いていたときのことである。
当時はまだ常勤職員として働いていて、仕事が終わらず帰りが遅くなることも多く、とにかく毎日疲れ切っていた。
土日も仕事関係の勉強や研究(!)に費やさなければいけない日々であり、まさに「暮らしが仕事に浸食されている(泣)」と感じていた。体調も崩しがちで、どんなにケアをしても肌荒れが治らなかった。自分を大切にしたいけどその時間が足りないと嘆き、でもなんとか不幸にならないように、何かに必死にしがみついていた。
あるとき、貧血気味でどうしても仕事に行く気にならず、午前半休をとった日があった。真冬の、天気の良い朝だった。
ようやく身体をベッドから起こしたときには、もうすっかり日が昇っていて、部屋中、陽の光がいっぱいに射し込んでいた。
当時、毎朝まだ真っ暗で寒い時間に起きて出勤し、夜も真っ暗で寒くなってから家に帰っていた私は、
「わたしの家の中って、こんなにあったかいんだ」とびっくりした。
それは、とても幸福な驚きだった。
あまりに感動して、「この時間ってこんなにあったかいんだね」と妹に連絡してしまったくらいだった。
そしてそれはまさに、私にとっての「小さな逸脱」のひとつだった。
真冬の午前10時の陽の光の明るさ、温もり。それを知らずして、いったい何を幸せと言うのだろう。
こういうことのために、生きて、暮らしているんじゃないだろうか。
私が都内の実家に身を寄せ、当時の仕事を週5日から週3日の非常勤に減らしたのは、その約半年後くらいのことだった。
そして今、あたたかな部屋のなかで
あれから、およそ4年。
現在の私は、結婚し、夫とふたりで暮らしている。
仕事は、だいたい週に4日くらい。
平日はぴったり定時で退勤し、帰宅後はできる範囲で自分たちの手で食べるものを用意し、これまたできる範囲で家の中を整え、なるべく長く睡眠をとるようにしている。
まだまだ、理想とは程遠いけれど、改善・工夫の余地が十分にあるこの暮らしを、ときにイライラしながら、目いっぱい味わい、楽しんでいる。
自分が本当は何を欲しているか、何が大切なのか。
考えて考えて、考え続けた結果、自分を大切に労わる生活が、以前よりは上手にできるようになってきたように思う。
そしてこれからも、そんな日常をあれこれ微調整しながら、ひとつひとつ、営んでいきたいと思っている。
2025年1月のいま、午後の陽の光が入るあたたかな部屋のなかで。