私たちの魂は何度も転生し、あらゆるものを経験して人間になる
こんにちは!おつーです( ・∇・)
本日は、お釈迦様がおすわりになるの聖なる植物、蓮の花について。
魂が生まれ変わる回数と、蓮の花の尊さ、美しさについてお伝えしていこうと思います。
蓮華の三徳
泥の中から茎を伸ばし、美しい花を咲かせる蓮華。
この花はとても神秘的で、泥が汚ければ汚いほど、大きな大輪の花を咲かせるそうです。
蓮がもつ三つの『徳』として
①蓮に徒花(あだばな)なし
蓮は汚れたまま咲くことがなく、咲き損ねることがない花と言われており、「必ず幸せになることが出来て、将来、仏になれることが間違いないこと」を意味していると言われています。
②花果同時(かかどうじ)
通常、植物は、自家受粉をする際、花が咲いてから受粉し果実ができるのですが、この植物は、花が咲くのと同時に果実をつけると言われており、種は、「仏性(ぶっしょう)『悟り』」を表します。
③汚泥不染(おでいふぜん)
泥沼に咲く花でありながら、まったく泥に染まらないきれいな花を咲かせること。
この花は、泥水の中からしか、立ち上がってこない花。
泥水が澄んでいると、小さい花で、泥水が濃いと、大輪を咲かせる。つまり泥水の濃さが栄養となっているのです。
実は、泥の中から花を咲かせるために、泥の中に伸びるハスの地下茎「レンコン(蓮根)」の部分の中央に大きな穴が一つあり、そのまわりに九つ前後の穴が存在します。
レンコンにあいている穴は、水の上から泥の下へ空気を運ぶためのもので、ハスの葉柄にある穴の数は、四個。
ハスの茎にも葉と同じように4つの穴が存在し、その穴から蓮根の穴に向かって、空気を運ぶ仕組みになっているのです。
朝の5時くらいに花が咲くとき、バリバリといった音がなって、花が開くのですが、3日間くらい朝になると開いて、夜になると閉じてを繰り返し、その際に、花の中を見ると、初めて花を開いたのに、もう実がある状態②花果同時(かかどうじ)であると言われているのです。
泥水は人間の苦しみを表す
仏教には、泥沼を、苦しみ、悩み、悲しみ、嘆きの絶えない人生をあらわし、これらの苦悩を多く経験した人間こそ、美しい大輪の花を咲かせるという教えがあります。
現代の植物学で、解明される前、2500年前に、お釈迦様はこの花の特殊性を理解しており、インスピレーションでこの花を台座に選んだと言われています。
ここから先は
渦プロジェクトに参加!渦人を応援しながら、相互に記事を応援しあう中を目指すマガジンです。思考の強化シリーズとして、潜在意識を書き換えるため…
あなたの応援が励みになります😀こちらの記事が良かった❣️役に立った❣️と思っていただけましたら、ぜひ、サポートの方、お願いします💕