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大学は就職予備校ではない

初めに

 今日は世間が抱く大学のイメージに対して、私が感じるモヤモヤを共有したい。先日、高卒だから家庭菜園しかできないと大卒にバカにされた方が「大卒なのに家庭菜園もできないんですか」と切り返して、相手の顔を真っ赤にさせた趣旨のツイートがTwitterでバズって流れてきた。多くの「いいね」が付き、RTもたくさんされていた。今回の流れであれば、ツイートされた方のスマートな返しに多くの共感が生まれるのは納得ができるが、いわゆる「クソリプ」を返させてもらうと「大学は職業訓練校ではないので、家庭菜園ができなくても全く問題ない。むしろ、大学を卒業してできることが家庭菜園だけの方が問題ある」になる。もし私が新卒採用の面接官で「あなたが大学生活で力を入れたことは、なんですか」と聞いて、その返しが「家庭菜園」だったら、話の内容によっぽどの魅力がなければ、確実に落とす。誤解を招かないためにも繰り返し伝えるが、この記事を書く経緯となったツイートの内容に批判的な気持ちはない。「高卒だから家庭菜園しかできない」と言う方に問題がある。でも、そもそも論、学歴と家庭菜園が結びつくこと自体が間違っていやしないか。今回はその点について伝えていきたい。

相手をバカにするときに用いられる大卒万能神話

 こんなフレーズを聞いたことはないだろうか。「大卒のくせに都道府県の位置すら覚えてないの?」私自身言われたこともあるし、友人なんて職場の同僚から言われたことがある。でもちょっと待ってほしい。大卒が都道府県の位置を覚える必要が本当にあるのだろうか。地理学なんて一般教養でも必須科目ではなかった。
 今回の家庭菜園もそれと同じである。なぜ、大卒にこれらの類の知識を求めるのだろうか。「都道府県の位置分からないの?」「家庭菜園できないの?」と聞いてくる人は、大学をなんだと思っているのだろうか。雑学王になるための機関ではないぞ。大卒だからって何でもかんでもできるという妄言・浅慮である。大卒に無意味な万能性を求める人たちが理解できない。

知が軽んじられ、就職予備校に成り下がる大学

 先日、日経ビジネスの文章に興味深い内容があった。

気がつけば、「企業のニーズにあった人材を育てる」というお題目の下、純粋に学問のために学問をしている先生たちの意見は無視され、就職予備校に成り下がった大学も少なくない……いや、実に多い。

https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00196/?P=2

 業務管轄外なのでちゃんと把握してないが、実際に大学のカリキュラムにも就活に役立つものが増えてきているそうだ。比較教育学などの論文を読んでみてほしい。諸外国は知の宝庫としての大学と職業訓練のための機関が明確に分けられていることが分かる。日本でいうところの専門学校である。ところが、最近の日本では本来は専門学校に求められる役割が、大学にまで求められるようになってしまっている。
 この問題をまじめに議論しようとすると、大学の役割をきちんと国民に説明できていない国や大学自体の問題、知を軽んじる国や民間企業の問題など多面的に議論していかないといけないから、ここでは省くが、上述の日経ビジネスの文言のように大学の役割が歪んで認識されてしまってきている。
 その結果、今回話題にしたような「都道府県の位置分からないの?」「家庭菜園できないの?」と聞く人が出てきてしまうのではないだろうか。
 大学の役割を理解していれば、このようなとんちんかんな質問をする方が間違っていると分かるはずだ。

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