一番の宝物
もうすぐ半年になる甥がいる。首が座って、寝返りが打てるようになった頃。まだ喃語しか話せない。もうすぐ視力が上がり、顔の区別がつくだろう。人見知りし出すだろうな。
こういう知識が仕事や試験以外で使える時が来てよかった。
私の両親と、彼の親である私の弟と私とが、甥を囲むように座り込む。まだ寝っ転がって足や手をバタつかせることしか出来ない彼。
「あー、うー」と声を出すと拍手喝采、おしっこをすると「よく出来たねぇ」と賞賛の声が降りかかる。寝返りを打とうものなら頭をぐりんぐりん撫でられ「凄いねぇさすがだねぇ」なんてこの上なく褒める有様に、目も当てられない。子供嫌いだと言っていた母の目尻は下がりっぱなし。
何度も何度も名前を呼ばれる甥。名前を呼ばれている事には理解できていないだろうが、キョロキョロと顔を動かしたり音がする方へ体を向ける様な動作をする。もう、一生分名前を呼ばれているんじゃないかと思う程、家の中は彼の名前が溢れかえっていた。大切にしてくれるように、大好きだと思ってくれるように、ひと文字ひと文字丁寧に伝えながら、幾度と名前を呼ぶ。
一番最初に貰うプレゼントだ。「私はこんな人間になりたいって思ってるけどどうかな?」「可愛い名前より、歳を取っても違和感無い響きがいいな」「画数は少なめね。面倒臭いんだもん。」なんてお腹の中にいる間に両親と相談して決めれたらいいのに、実際はそんな事出来ない。時間をたっぷりかけて、これだと思う名前を付けてくれる。
.
.
.
保育園の卒園文集(って言い方で合ってる?)に名前の由来を書いてもらう欄があった。“アスファルトに咲く花のような、どんな困難にも負けない力強さと朗らかさを”と、母の柔らかい文字で書かれていた。左端にちょこんと添えられた花の絵も忘れられない。
2人で悩んで、色んな案を出して、結局は母が気に入って決めたらしい私の名前。今の甥と同じように、私が産まれた時もたくさんの人に囲まれ、たくさんの人が丁寧に優しく呼んでくれたのかと思うと、温かい気持ちに包まれていく。
甥が目を覚ます。すかさず父が彼の名前を呼ぶ。ゆっくり、優しく、丁寧に。パタパタと手足を上下に動かしながら笑う彼。笑顔が広がる。次は母が名前を呼び、弟も甥の名前を呼び出す。ただの呼称ではない、もっと深い意味を持った響き。これからもっと多くの人に名前を呼ばれて育っていくだろう。どうか、名前のその奥の、その先まで、愛せますように。
お腹の中にいた私の事を一生懸命想いながら、たっぷりかけた時間まで愛していこう。
一生で一番のプレゼント。一番の宝物。