
映画『クライ・マッチョ』 (ネタバレ感想文 )幸福な映画。でも、ある意味衝撃作
イーストウッド御大、監督50年&40作ですって。
試しに数えたら、私が観ているのは18本でした。初期作品をほとんど観てないんです。自分の年齢を考えたら当然なんですけど。私の生まれる前から監督してた・・・って言いたいけど、残念ながら生まれてた(笑)
星条旗を描き続ける作家
私はクリント・イーストウッドを「星条旗を描き続ける作家」だと思っています。(私の知る限り)ほとんどの監督作で星条旗が映されます。
この映画でも、国境で一瞬だけ映ります。おそらくイーストウッド監督作史上最も短い。その理由(推測)は後述します。
いずれにせよ、こんなに星条旗を登場させる監督は他にいない。
「星条旗を描く」とは、すなわち「アメリカを描く」ことです。
イーストウッド御大は常にアメリカを描き続けたのです
(もちろんアメリカ以外を舞台にした作品もありますけど)。
そのことを私がはっきり意識したのは『許されざる者』(1992年)でした。
映画終盤、立ちはだかる主人公の背後に星条旗がはためきます。イーストウッドは俯瞰ショットを好む傾向がありますが、真逆の仰ぎ見るようなショットで星条旗を映したのです。
彼の政治思想は分かりません。
しかし(あくまで映画から読み解く限り)決して脳天気な「アメリカ万歳」でも「何でも反対」な悲観主義でもないようです。
特に近年は、アメリカを愛するが故に「俺たちが理想としてきた星条旗(アメリカ)は今の姿じゃない」と苦言を呈しているように感じます。
『父親たちの星条旗』(2006年)、『硫黄島からの手紙』(06年)で声高に叫んだ後、『チェンジリング』(08年)では執拗に権力者の横暴を描くことでアメリカの恥部を描きます。
『グラン・トリノ』(08年)で役者クリント・イーストウッドを殺して以降は(『運び屋』(18年)で復活しますが)、『インビクタス』(09年)、『ヒア アフター』(10年)、『15時17分、パリ行き』(18年)と国外にも目を向けつつ(それでも、差別、災害、テロとアメリカと決して無縁ではないテーマを扱っている)、実話ベースの社会派の傾向を強めていきます。
『J・エドガー』(11年)では過去、『アメリカン・スナイパー』(14年)では現在と、様々な形で「正義って何だ?」「この国のあり方はこれでいいのか?」と、答えの出ない、しかし辛辣な問題提起をしてきたように思うのです。
そう考えると、「まだまだ若い者にゃ負けねーぜ」という元気な年寄り映画だと思っていた『スペースカウボーイ』(00年)が、実は「まだ俺達の時代には、この国に夢があった」と嘆いていたように思えてきました。
余談ですが、『J・エドガー』は星条旗を映さなかったと記憶しています。でも「半旗を掲げる」という台詞や「棺にかけられた星条旗がウンヌン」という字幕で星条旗をクローズアップしていたように思います。
国外から見たアメリカの理想
そんな「星条旗を描き続ける作家」クリント・イーストウッドが、自ら出演した本作で選んだ「安住の地」が、まさかの国外。衝撃!
星条旗の描写もほんの一瞬。これも厳密に言えば、メキシコ側からチラ見した形の描写です。
私はここに御大の意図を感じるのです。
少年はカウボーイに憧れます。言い換えれば、アメリカへの憧れです。
しかし現実のカウボーイ(イーストウッド御大)は過去の栄光。今や傷つき老いて、国内では惨めな生活を送る日々。やっと国外で少年憧れの姿を「チラ見せ」することができる程度。
これが、この映画の「星条旗」。これが、今のアメリカの姿。
正確には、「憧れの姿のチラ見せ」ではなく「伝承」かもしれません。「俺たち老人に出来ることは、何かを伝え、残すこと。国境を越えてでも」と言っている気もします。
マッチョは幸福なのか
この映画のイーストウッド御大、幸せそうなんですよね。
ダンスしているシーンなんて「なんて幸福な時間が流れてるんだろう」と、観ていて目頭が熱くなりました。
容赦ない「痛み」をぶつけてきたイーストウッド映画ではあり得ないくらい優しい時間。逆に衝撃。

ミクロの視点では、老人が幸福感を得るまでの物語だと思うんです。
ヨボヨボの役立たずの爺さんが、誰かに頼られて、昔取った杵柄で餅をついて(<ついてない)「誰かの役に立つ」ことで多幸感を得る。老人の正しい扱い方です。
また別の視点で言えば、恩義があるという「自己都合」で少年を「強制的に」アメリカに連れて行こうとした男が、最終的に少年の「自主性に委ねる」までの物語でもあります。90歳になっても人は成長するんだな。
こうしたミクロな物語を包括しながら、この映画は「マッチョは幸福なのか?」と(正解のない)問いを投げかけている気がします。
強さを誇示することを放棄して、傷ついた者や弱者らが手を取り合い「愛し合って」生きていく。こういう幸福だってあるじゃないか、と言っているようです。
自己都合&強制という「力の支配」から「自主性の尊重」への物語と前述しましたが、ミクロの物語としてばかりでなく、マクロ視点でも「時代の変化」として同様のことが言えるような気がします。監督50年。夢幻の如くなり。
まあ、「社会派」「今の姿は理想のアメリカじゃない」という文脈から穿った見方をすれば、あの人が「国境の壁」と言い出したことに対する御大の御意見映画なのかもしれませんけど。

(2022.01.26 ユナイテッド・シネマとしまえんにて鑑賞 ★★★★☆)