自由の獲得には権力との闘いが必要なのです。
この現実世界で真に人間らしく自由に生きていくためには、その自由を獲得するための闘いが常に求められる、という厳然たる事実がある。
それは、ある人間集団を作り出したときには、その規模に応じてある程度の権力集中が起こるわけで、そうした権力が濫用されたときには人々の自由が奪われるからだ。
だから、本当に自由な生き方を求め、それを実現するには、徹底的に「反権力」である必要があるだろう。
ここでの「反権力」の意味は、権力が言うことに何でもかんでも反対するという意味ではなく、「権力の濫用」に対して屈しない、という意味である。
例えば、なぜ国家権力が存在するかと言えば、その国家内における治安維持や経済的再配分などを適切に機能させるためだ。
そうした権力機構による一定程度の強制を伴う機能は、人間集団を適切に運営していくためには不可欠である。
しかし、権力がその権力の適正使用の範疇を越えてしまうと、容易に人々の権利が奪われてしまう。
このバランスを維持することは大変難しいことであるが、それでも丁寧にバランスを取っていかなければならない。
現代社会においても当然そうした権力は存在し、かつ巨大化している。
ロシアのプーチン大統領や中国の習近平首相に代表される、独裁政治体制。
GAFAMに代表される、巨大グローバル企業による情報独占体制。
日本も例外ではなく、自民党一強の政治体制は権力集中とその濫用は紙一重である。
私には「闘争心」が無い、ということを以前書いたことがある。
何かに対して攻撃する気持ちを持つことはほとんどないし、攻撃されるのも好きではなく、そういう人やものとは距離を取る人生を送ってきた。
攻撃までいかないにしても、何かの勝ち負けにこだわったりすることすらも少なかった。
そういう人間は、上記のような社会においてどのように生きていけば良いのだろうか。
自由の獲得を目指して、常に闘いを強いられながら生きていかねばならないのだろうか。
それとも、闘いの必要ない、自分自身にとってのユートピア的な社会が存在するのだろうか。
もし存在するのだとしたら、そのような社会を作り出すことはできるのだろうか。
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