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"自分らしくある"ことからつい乖離してしまうのです。

自分が本当に自分らしくいられる場所が1つでもあれば、きっと幸せなんだろうなと思う。

このような書き方をすると、今がそうではないことを暗に示しているように見えてしまうが、決してそういうわけではない。

ありがたいことに、私が所属するコミュニティのいくつかでは、比較的自分らしくあれていると思う。

しかしながら、コミュニティで過ごす中で、その「自分らしくある」ことから乖離する瞬間があるように感じることもまた事実だ。

例えば、コミュニティの中である小規模集団の取りまとめ役などの責任ある立場に置かれた場合、その役割にふさわしい考え方、発言、行動が求められるだろう。ここでは、これらをまとめて「振る舞い」と表現することにする。

このとき、「責任ある立場に置かれた場合に求められる振る舞い」をしようと意識的になりすぎるあまり、「元々自分が特に深く考えずに行っていた自分らしい振る舞い」を取れなくなってしまう、ということが起きる。

本当に自分が考えていることを発言するよりも、その集団が目指す方向性と齟齬が無い形での発言をする方が集団をまとめるリーダーとしては望ましいだろうし、周りのメンバーへの求心力を与えることになるはずだ。

自分の苦手なやり方で取り組むことはしたくなくても、どのような集団にどのようなリーダーが求められるかは人類の歴史を元にある程度明らかになっているのだから、そういうリーダー像に自分を当てはめなければならないこともある。

しかし、そういう姿勢に慣れ過ぎてしまうと、どこかでやはり自分のことを抑制する必要が出てくる。

この抑制を、自分自身を適切に制御しているだけのように感じるか、度を過ぎて自分を押し殺しているように感じるかは、その人の個人的特性や周りの環境要因によって変化するだろう。

「集団の中で自分らしくいること」と、「集団内で責任ある役割(リーダー)を果たす(演じる?)こと」は、両立し得るのだろうか?

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