こんにちは、Antennaです。 現在はインプット真っ只中。日々情報の波にもまれております。 (文体変えてみた) 今日は、ランニング(といっても休み休み)しながら、「脳科学、脳LIFE」というポッドキャストを聴きながら「内向型・外交型」について思いを馳せました。 内向型とか外交型、別の言い回しでインドア派とかアウトドア派とか言うけれど。みなさんはどっちかしら。 みんながみんな、そんなにはっきり分かれているわけじゃないと思う。生まれ持った性質と、成長の中で獲得した性質ってい
ひさしぶりにnoteを開く。というか、新規アカウントを作ろうとしたら、このアドレスは使えないと出たので、しかたなく!?再設定をしたのだ。 この間、約6年間元気に生きていたのだけれど、こちらの存在を忘れていた。コロナもあったのに、思い出さなかったというのは、それくらい他に気をとられていたのかもしれない。さらに星回りが変わって、またインプットしたり修行したりアウトプットしたりしたくなってきたのかな。 過去の文章を全て消して、新しい私を演じたかったけれど、まったく無茶なことを言
タイトルでハードルを上げる意味がどこにあるのだ。 しかし、今朝は良い夢すぎて余韻に浸りたくて子供居るのに50分も寝坊してしまった。 すでに過去となったのでよいか、ここにボソッと書いておこう。 ベースは朝ドラなのかもしれない。 途中何度となく「律」に入れ替わって想起される。 そんなに佐藤健が好きなのか?確かに、人切り以蔵をやってたあたりも好きではあったが。役柄かな。 そう、良い夢というのは、仕事の成功や趣味のバレーの優勝、子供の活躍とかではなく、恋愛ものだった。 これは私
一般的な夫像の話。 よく、こんな芸能人がお父さんがいいな、とかベストファーザー賞とかあるけれど、夫版もあるのだろうかと思った。 いや、特別素晴らしい夫像がどうなのか知りたいのではなくて、一般的なそれが知りたくなったのだ。 単純な前知識としてはこんなものが並ぶ。幼少期から親しんできたもの。 サザエさんでいうマスオさん。 ドラえもんでいうのび太パパ。 バカボンのパパはちょっと違うのかな... 帰って来て食事の際には何と話すのか。 子どもの話、職場の話、ご近所の話、今日あっ
伯母さんのご主人が亡くなって数年。足の少し悪い伯母さんは、地元に障がいの子ども(従姉)を預けているので、移り住むこともできず、長い遠出もできず一人で住んでいる。 今日は、メールで母とその伯母さんの話になったので、バザーの話を。 従姉は、生まれた時から障がいをもっていたので、伯母さんはずっと福祉施設のお手伝いをしていた。私も、一時期営業を辞めて放心していた時に、バザーのボランティアをしていたことがある。 地域の人々から要らないものを集め、それを施設のバザーで格安で売り、施設
親子で引き継がれるものについて。 子が「いやいや」言うようになり「キライ」「もういい」など言葉を覚え頻繁に使うようになってきた。保育園に登園するときも、また泣いたり離れなくなってきた。 頭ではわかっていたけれど、改めてネットで同じ症状について確認してみた。 ・保育園で制約のある中子供なりにがんばっている ・やっとお母さんに会えたら甘えたいが爆発 ・用事を横にやりしばし向き合うように ということであった。甘えたい、構って欲しいのはわかっていたが、応急処置的に帰宅後すぐに
もてる方ではなかった。いつも好きになってばかり、というか好きになるのが趣味だったのかもしれない。「好き」というだけで特別告白をするわけでもなかった。運動会で盗撮したり(思えば機器は何を使っていたのだろう、今のようにスマホもデジカメもなかった…あ、ばかちょんか。)好きな子について友達と交換日記をしたり、勝手にあだ名をつけたりした。 ※「ばかちょん」という表現は今でこそ放送禁止用語となっているが、1980年台当時に誰かを侮蔑する意味合いで使っていたことはなく「ばかでもちょんでも
今の日本では、保育園(幼稚園)前、保育園(幼稚園)、小学校、中学校、高校、(短大、大学)、卒業後というふうに、勉強ベースでのステージが存在している。 具体的にはよくわからないながらも、小学生の時に遊んだ「インサ(神戸式)」では地面に田んぼの「田」を書いてそれぞれ「小」「中」「高」「大」とレベルアップしたことからもわかる。 実際には、「留学」「夜間」「通信」「塾」「専門学校」「資格スクール」と学ぶ手段はどんどんと広がっていて、「不登校サポート校」なども全国で展開されている。
私は物心ついた頃からバレーボールが好きだったという話。 両親は野球部と卓球部なので、バレーなど教えてもらったことはない。母がママさんバレーに連れていってたみたいなこともないし、親戚もそうだ。 私のバレー好きは自発的に生まれた。というか多分だけど「アタックNo.1」なんだろうな。裏は取れていない。 その頃の私がよくそのアニメを見ていて影響されてた、みたいなエピソードはひとつもない。そんな時代だったのだろう。 幼稚園のころには、手のひらサイズのビニールボールを壁にぶつけて自主
戻れるものなら戻って最初からやり直したい小学校4,5年の話。 思い出したいテーマではなく、避けたい方なのかな。 そのころは、人間関係の作り方というのを全く知らなかったし、世の中の仕組み?というか情報の仕入れかたも全くわからなかった。 なぜみんなチェッカーズの歌を知ってるんだ、その折り紙の数々はどうやって手に入れたのだ、なぜそんなに強気にでれるのだ、どのシャンプーが主流とかなぜわかるんだ、そんな気持ちでいっぱいだった。 私は自分から「これが欲しい」「これを買ってくれ」とい
今日は、ある日放火事件に巻き込まれた時の話。 私は、とある金融機関で営業として働いていた。 そのお客さんは朝の開店前の時間に訪れた。まだ営業マンが朝の会議をしている、朝の8:00くらい。 金融機関は9:00に開店するので、その1時間前には全体朝礼なり、課の会議が行われるのだ。 その日も、営業全員が2階に集まって朝会をしていた。そこに、営業事務の女性の方が尋常ではない足音を立ててやってきた。 「一階に火が...」ここの台詞は定かではない。私はすでに、緊急事態のため脳が機能
大したことは書けないけれど、もうリアルタイムの世界はいいから、昔のことを書いてみようと思う。 長年生きてきている割りに、ここ数年の出来事ばかりがネットやツールのせいでクローズアップされていて、バランスが悪い。 楽しみながら書けたら。 今日は大丸のロゴの話。 幼稚園の頃、一緒に住んでいたおばあちゃんと、元町の大丸へ行った。その事については何も覚えてないんだけれど、店ではなく玄関先で紙袋か包み紙に描いてある、大丸のロゴ「DAIMARU」を指して「これはなに?」と聞いたらしい