発達障害と感覚統合 (利き手の定まらない息子の例から紐といてみた)
自分や子どもに発達障害があると堂々と話していると、「実はうちの子も・・・」と相談されることが増えてきた。そして、「診断がなぜいるの?」といった悲痛な声もよく耳にするので私なりの考えをまとめてみることにした。
2012年に児童福祉法の一部が改正され、それまでは障害別だった通所支援が一元化され”障害児通所支援”いわゆる放課後等デイサービスや児童発達支援施設が開設されだしました。それと比例して、発達障害児の人数もここ10年内で一気に増加し認知度も広がっているように思われる。
一昔前までは、落ち着きのない子・つい手がでしまう子などいわゆる変わった子どもといわれてきた子も、実は”発達障害”だったのではないか?といわれている。
エジソンや坂本龍馬などが紹介されたりし、それを知った親は子どもに発達障害があるとなると、何か特殊な能力があるのではないか?と思ったりするといった声もよく聞く。
私も長男が4歳の頃、プラレールカルタを誰よりも早くできるので「天才だ!」と思っていた。こういった凸凹を「発達障害は悪いだけのものではない」というイメージをつけるにはいいのかもしれない。
しかし、”発達障害の症状がある”というのと「発達障害者である」というのは別物だといわれているが、それが、なぜか?
それは、診断基準いわゆる条件があるからだ。(当たり前だが、診断するのも医師のみである。)
1・発達障害の3つの条件
日本では発達障害者支援法によって、発達障害の概念が定義されていて主に3つの条件を満たす人を指す。その3つを次にあげる。
①脳機能の障害である
②低年齢から症状がみられる
③症状のせいで今困っている
1つ目は、体に障害があれば「身体障害」、心に障害があれば「精神障害」と呼びばれる。同じように脳に障害あれば「発達障害」といわれる。
2つ目は、「低年齢から症状がみられる」ということ。つまり、「脳機能の困難は生まれつき持っているので、年齢が低い時から症状がある」という意味だ。つまり、発達障害は子育てや躾によるものが問題ではないとも言い換えられる。
3つ目は、「症状のせいで今困っている」という点。そう、発達障害の本質は「今、私は困っている」という証明。どうして診断をつける必要があるのか?という答えはここにあるといえる。
診断や意見書をもらい必要な医療や福祉のサービスにつながるためだ。税金を使ったサービスがほとんどなので誰にでも与えてしまえば制度は破綻する。だから、医師の診断や手帳などを発行されることでサービスの利用許可をもらっているのだ。
2・発達障害=感覚調整障害
発達障害の人は、脳内での情報の連動がスムーズにいかないために特有の行動が発生していると考えられているため、適切な発達を促すことが重要だ。
□発達障害の診断名と特徴
主な発達障害の診断名と行動の特徴をあげてみた。上記の診断名は一見バラバラにみえる。しかし、脳機能の困難であることは共通している。そして、脳は感覚情報のやり取りをしながら、体を動かしたり考えたりする器官である。
発達障害を抱える人は脳の各部位の連動が適切にできていない人が多いという研究が広まってきた。脳は、各部位が言語・視覚・運動・司令塔など役割を分担して担っている。そして、各部位が連動することで、複雑な行動が可能になっている。
しかし、この連動がスムーズに行えないことからさまざまな困難へと繋がっているのだ。
例えば、視覚と固有感覚(関節や筋、腱の動きを検出する、体の位置や動き、力に関する感覚)がうまく連動できず、ドッチボールなど飛んできたボールに対して体を適切な場所に動かすことがスムーズにいかず「うまく逃げれない」「ボールをキャッチできない」という結果につながる。
このように発達障害を抱える人は脳内での情報の連動がスムーズにいかないことが原因で特有の行動が発生していると考えられている。そのため、発達障害≒感覚調整障害ともいわれたりとする。
コミュニケーションも複数の感覚と身体が高いレベルで連動してできる行動になりる。そのため、土台の感覚発達が不十分であると、コミュニケーションの困難や注意集中の困難という行動につながるのだ。
□感覚統合療法というアプローチ法
発達障害を抱える人の感覚の育ちを分析し、適切な発達を促すことで困り感を減らすことができると考えられている感覚統合といわれる「感覚」にアプローチして発達を促す感覚統合療法という手段が昨今注目を集めている。
私は昨年、感覚統合をより詳しく作業療法士より学び、「もっと早く知りたかった」と後悔した。それは、感覚統合の最終産物といわれる学習やコミュニケーションといった困り感を我が家の長男が直面していたからだ。
そういった困りごとへのアプローチを幼児期にしていれば効果的に改善することができたかもしれないと・・・。しかし、幸いなことに、発達ゆっくり次男にとっては、とてもいい情報が得られた。
次男は、5歳になっても利き手が定まってなかった。幼稚園入園準備で物品購入(ハサミ)の際に「利き手を決めるように」と指導され、療育施設に行けば、右手への矯正をはかろうとする支援者に出会ったりする。
その度に、「無理に変えなければいけないの?」ともやもやとしていた。
利き手の確立を感覚統合では、両側統合またはラテラリティの確立といわれる。一般的に生後半年ほどで前庭感覚の発達とともに体幹が発達し、体の軸が確立する。体の軸ができてくると、起き上がり座った姿勢(座位)ができるようになるといわれている。起き上がることで視界は広がり、両手が自由になり、体幹をひねったりすることが可能になる。
そして、右から左、左から右へと体の中心軸をこえる動きを行うようになる。これを正中線交叉といって、左右の脳が連動して働き始める。そうして、体や脳の各部位の役割が明確になっていき、脳内で優位性がある方が利き手として確立するといわれている。
前庭感覚の発達を促す(ブランコやシーソーなど揺れるあそび)ことで、体幹の発達(前庭脊髄反射)が促され、体を捻って自由に動かせる範囲が大きくなる。そして、正中線交差するさまざまな運動も増やしていき、その結果脳の役割分化も進み、利き手が確立していく。
なので、大人が無理に「右で持つのよ」と訓練しても子どもにとっては苦痛なばかりでなく脳の発達成長を阻止しかねない。それでも「生活していくうえで右手の方が生活しやすいから矯正させたい」という保護者の声があるならば、両側統合の概念やメリットデメリットを説明したうえ行うべきと考える。
最後に
約5年前初めて療育の世界に足を踏み入れた時、唖然としたのを昨日のことのように思い出す。未就学児の子供にドリルをさせ、保護者が望んでいるからと学習プリントの枚数を増やす。その横で「僕は馬鹿なんだ」と頭を打ち付け自傷行為をする。ここは早期教育の塾か?と苛立ち、未熟だった私は管理者に強く意見をし立てついた。
それ以来、「療育ってなんだろう?」「障害ってなんだろう?」と何度も何度も考えてきた。5年たち、我が子も自分も障害者とわかり支援する側から支援される側に立場も変わった。
この頃思うことは、どんな親もどんな支援者も子供たちに不幸になって欲しくて苦しませたくてアプローチしているのではないということ。皆んなそれぞれの正しさでアプローチしている。
そして、専門職のアプローチが必ずしも正しいわけではない。
講習で「正論を振りかざさない支援を」という言葉は、正論をふりかざされ傷ついた経験のある保護者である私にとって身に沁みた言葉だった。
しかし、自分も今まで「正論をふりかざしてこなかったか?」と改めて振り返ると自信がない。
価値観は一人一人違っているのはあたりまえだが、支援やアプローチがバラバラだと支援される子どもが困る。
そして、決して独りよがりの支援になってはいけないはずだ。
そのアプローチや支援は、本当に子どもが幸せになるものにつながっているのか?
と振り返りながら当事者を置き去りにしないでほしい。
公的支援に辿り着いている親子が支援をうけた結果、ひきこもりやうつなどの二次障害をおこすことなく日々の生活が豊かになることができるよう関わっていくこと。
その為に早期から社会全体で親子を支えようと出来た制度であり、障害児のレッテルをはるためのものではないはずだから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?