『花束みたいな恋をした』ないものねだりを顔面につきつけられた気持ちがした
※ネタバレ注意
『花束みたいな恋をした』の余韻にひたりながら、感想を綴る。敬語は邪魔なので脇に置いておく。
『花束みたいな恋をした』
私には絹ちゃんと麦くんではなく、有村架純と菅田将暉に見えたので、有村架純と菅田将暉の名前で書きます。嫌な方はごめんなさい。ブラウザバックをお願いします。
有村架純と菅田将暉は、最初は独特な感性によって惹かれあった。好きな作家の名前も、好きな言葉も、好きな本もすらすら出てくる。そんな二人がうらやましかった。私が共感できたのは、小川洋子さんが好きということくらい。『博士の愛した数式』を読んだ時の衝撃は一生忘れられないし、電車の中でそれを読んでいる高校生を見たときは胸が高鳴った。だから、二人が惹かれあう気持ちもわからなくはないと思った。
と同時に、知らない作家の多さに絶望した。私はその感性を持ち合わせていない。有村架純のようでありたいと思った。この記事も有村架純の口調をまねてみたりしている。
そんなことを考えているうちに、二人がすれ違い始めた。有村架純は相変わらず好きな本や映画を楽しんだりゲームをしたり。一方で菅田将暉は営業の仕事に追われ、昔有村架純と共鳴した感性をすでに失っていた。
二人が本屋に行ったとき、有村架純は好きな作家の本を見つけ、菅田将暉に見せようとした。そのとき菅田将暉が立ち読みしていたのは、ビジネス書だった。前田裕二の『人生の勝算』。前田裕二といえば、ビジネスに生きる人。そして、私の人生を変えてくれた人。今もなお原動力になっている人。詳しくはこちらの記事を。
『人生の勝算』を読んでいる菅田将暉と自分が重なった。あまりこういう言い方は好きではないが、私は菅田将暉側で、有村架純側ではない。有村架純側に行きたいと思っても、私は本能的に菅田将暉側に惹かれる人間だ。そう気づいたとき、ないものねだりを顔面につきつけられた気持ちがした。