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【つらいときに】潰してくれてありがとう

潰される場面

 仕事、プライベート、その他人間関係において、自分自身が潰される経験をした方もいると思います。潰れるということは、壊れることでもあり、自分の機能を損壊しているようで、社会的にも人生的にも損でつらい気持ちもします。

つらい日々。正当性を考えるほどつらくなる。

 自分は被害者で、相手は加害者であり、おかしい。そういう風に思うこともほとんどでしょう。しかし、なぜか心のモヤモヤは晴れません。自分が正当であると考えれば考えるほど、余計に泥沼になっていくのです。それは、潰される自分にも原因があると思ってしまうからこそ、相手の非を考えたいし、そう周りにも思って欲しいと思うけれど、自分も周りにも完全に理解されないから、余計につらくなるのかもしれません。

潔く潰れよう

 正当性について深く考えず、私は、潰れました。と潔く、潰れたことを受け入れましょう。決して、私は、ダメだから潰れたとか、相手がおかしいから潰されたとかではありません。ただ潰れた。それだけのことであり、それ以上でも以下でもないと思いましょう。

周囲への迷惑はあるが、そのケアはそれぞれ各自の仕事。

 潰れたことで周囲へ迷惑をかけることがさらに気持ちを潰すことになるかもしれませんし、その雰囲気に耐えられないかもしれません。しかし、潰れた人がいまさらがんばる必要はないし、それは求められていません。また、潰れたからといって、背中を丸めてうつむいていることが求められているわけでもありません。今、自分がすること。それだけをこなせばよいです。仮に、雰囲気が悪いのであれば、それは、周りの力量によるものです。人生経験が少なく、まさに、惑わされたり迷っているのでしょう。人生経験豊富な懐の深い集団に属していたら、きっと、居心地が悪いということはそこまでないでしょう。つまり、周囲に迷惑をかけていると思ってしまうのは、周囲の人生経験値が少ないために、そういう雰囲気・展開をもたらしているからであり、本来、そのケアは各自、自分で行う必要があります。やや冷酷に見えるかもしれませんが、本当に1番冷酷なのは、自己否定によって、すでに潰れている自分をさらに痛め続けることでしょう。

すでに、うまくいっている。

 潰されて機能が低下したとしても、別分野では、いくらでもうまくいっているものはあります。それが一時的に見えなくなってしまっているだけです。もしも、睡眠、食事などが出来ないくらい機能低下しているならば、何も考えられない状態かもしれませんが、それは単に一時的に機能が低下してだけであり、本来の自分の素晴らしさが消えたわけではありません。少しでも眠れるだけで、大きな成果と考えてよいのです。少しでも食べれるだけで大きな成果と考えてよいのです。

潰してくれてありがとう

 潰してくれたことで、より、自分の居場所や生き方が明確になっていきます。潰してくれたことで、自分の選ぶべき環境、関わる人などが明確になっていきます。潰してくれてありがとう。そう思うことで、加害者・被害者の観点で、より自分を苦しめたり、迷惑をかけることを気にしすぎないようになります。立ち直るきっかけは、意外なものに感謝することかもしれません。

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ぱわぼう
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