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コーヒー日記⑲~利用者さんの言葉とスピノザ①~
わたしは現在、理学療法士としてデイサービスに勤務している。
そこでは当然、様々な言葉が交わされる。
その中に、ふと、「スピノザ的だなあ」と思う言葉に出会うことがある。
スピノザは、17世紀のオランダの哲学者である。
「スピノザの診察室」の著者である夏川草介氏は、スピノザの思想に対してこう述べている。
うまくいかないことばかりの中でも努力をする、なおかつ、努力とは別に常に希望を持つ。この2本の柱をきっちりと哲学的に著したのがスピノザである、と私は感じているんです。要は、「人の幸せはどこから来るのか?」ということですよね。厭世観であるとか諦観の中に、なんとかして希望を書き込みたいと考えた時に、スピノザの残した言葉が自然と意識の俎上にのぼってくる感覚があったんです。
こういう世の中だからこそ、スピノザの思想はわたしたちに希望を与えてくれると思う。
そしてその思想は、わたしたちの何気ない生活、言葉の中に潜んでいるのかもしれない。
そうした想いで、利用者さんの言葉の一部を、紹介していきたい。
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世の中に鬼はいないと思ったよ。
とある利用者さんの言葉だ。
彼女は若くしてシングルマザーとなり、その当時は珍しい女性美容師として家族を養っていたという。
そんな彼女は、上記の言葉を口癖のように話す。
住んでいた村で、周囲から怖がられていた男性がいたという。
実際、その村の人に対して怒鳴っているところを見たこともあったようだ。
でも何故か、彼女に対してはとても優しくしてくれたとか。
『世の中には鬼はいない』
つまり、「悪い」人はいない、と彼女はいう。
スピノザも、物事それ自体に善悪はないと、彼の主著「エチカ」で述べている。
組み合わせとしての善悪、といわれるものである。
善および悪に関して言えば、(中略)すなわち我々が物事を相互に比較することによって形成する概念、にほかならない。なぜなら、同一の物事が同時に善および悪ならびに善悪いずれにも属さない中間物でもありうるからである。例えば、音楽は憂鬱の人には善く、悲傷の人には悪しく、聾者には善くも悪くもない。
彼女は、その男性が周囲から恐れられているからといって「悪」と判断しなかった。
もしかすると、心の中に「組み合わせとしての善悪」を持ち合わせているのかもしれない。
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今後も緩く、利用者さんの言葉のスピノザの思想を紹介していこうと思う。
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