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書籍「限りある時間の使い方」が刺さる
最近読書ペースが上がっております。
生後半年の子どもがミルクを飲んで膝で寝た隙に、ソファの横にあらかじめ準備しておいた本を静かに読む。
カサッとか音立てて、子どもが起きそうになると、必死で小刻みに膝を揺らして振動を与えて眠りを継続してもらいます。
「赤ちゃんにとって心地よい小刻み膝揺らし」界で多分グランプリとれます(?)
それはさておき、最近読んだ本のうちの一冊、「限りある時間の使い方」。
こういう系の本、いくつも読んできた気はしてるんですが、今までで一番頷きました。メモも取りまくり。刺さりすぎて心臓痛い。
なぜ刺さるのか?所感いってみよう!
人生の本番は今
この本で繰り返し言及されるのは、「今が大事だよ」というメッセージ。
こうまとめると、急に陳腐でありきたりな言葉に聞こえますが、違うのよ。
なんとなく、今はまだ人生のリハーサルみたいな気分で生きているところ、ないですか?
「これが終わったらあれに取り掛かろう」
「忙しい時期を乗り越えたら〇〇へ行こう」
こんな感じで、したいことをやるのは今じゃない、みたいに思ってしまってることって、誰にでもあるんじゃないかと思うんです。
でも、何かやらなければならないことが終わって満足する、という状態って、永遠に訪れないんですよね。
そしてもう一つ。
別の目的のために、今何かをしなければならないという強迫観念、ないですか?
私めっちゃあるんですよ〜。
これは何のためになるのか?
今やっていることは何に繋がるのか?
みたいな。
「目的病」と言ってもいいですね。
でも、そんな私に、この本は言います。
「今ここが、人生の本番だ」。
グサっ
いや、そらそうやんて思うかもしれないんですが、これが意外と意識してないと、すぐ未来のどこかを生きてしまう。
未来の自分のために今の自分があるかのような気がしてしまう。
でも違うねん。
人生は今という瞬間の積み重ねであり、過去も未来も存在しない。全てが今。
どうしても未来未来、目的目的、となってしまう私ですが、今ここに集中して味わい尽くす、ということをほんまに肝に銘じます。
捨てた選択肢は自分のものではない
先ほども言った通り、人生は今の瞬間の積み重ねです。それは、一瞬一瞬の選択の積み重ねであるとも言えます。
無数にある選択肢のなかから一つを選び続ける作業が人生なわけですが、過去を振り返って、あのとき他の選択肢をチョイスしてたら…と思うこと、ありますよね。
私も30歳になってからかなり考えました。
あのとき、別の部活にはいってたら?
あのとき、勉強じゃなくて別の道に進む発想があったら?
あのとき、もっと真剣に就活と向き合っていたら?
もうそんなん、考え出したら無限です。
でも、この本の中ではこう言われます。
過去に選ばなかった選択肢は、もともと自分のものではなかったのだと。だから後悔する必要などないのだと。
あそこであっちも選べたな、とつい思ってしまうけど、一つを除いて他全ての選択肢は選べないし、それはそもそも自分のものではなかったのだから、損したような気になるのはおかしいんです。
損してないよ。自分のものを選んだというただそれだけだよ。てな感じです。
当たり前のように聞こえますが、はっきりと「自分のものではなかった」と言われると、何だか救われる気がします。
目の前の人生の解像度を2倍に
一番心に残っているのがこれです。
「人生を2倍の解像度で経験しよう」。
子どもと向き合っていても、どこかうわの空で、気持ちが過去か未来にいってしまうこと、ほんまによくあります。
大事なのは目の前の子どもに集中することであり、それでしか人生は味わえないのに。
この自分のよくない癖を、この本読んでから改善できつつある気がします。意識するって、ほんまに大事。
例えば、ミルクを飲んで眠る瞬間の赤ちゃんをこの目でしっかり見つめる。
その表情、香り、重みに意識を向ける。それだけで、テレビを見ながらミルクをあげるのとは天と地ほども違う経験の差が生まれます。
5歳の娘とお風呂に入るとき、これからの段取り、寝かしつけたあとやること、などに気を取られて無言になってしまいがちなんですが、娘が発する言葉ひとつひとつに耳を傾けて、今しかない娘の笑顔、肌、髪の毛を全身で吸い込む。
これが何より、その瞬間にすべきことですよね。
子どもの話だけでなく、
例えば子どもを寝かしつけた後に食べるアイスクリーム。
動画を見ながら何となく食べてると、気がついたら美味しいのかなんなのかよくわからんうちに食べ終わってた、みたいなことになります。
そうではなく、
最初はちょっと固いな、でも舌に乗せると溶けてきて美味しいな。だんだん液体っぽくなってきたな、そこから食べて丸いかたちにしていこう、最後は大きめの一口でフィニッシュやで!
みたいな具合に、アイスクリームと向き合うと、ただの「アイス食べた」という経験の解像度がぐっと上がるんです。
先日、「酒のツマミになる話」で、令和ロマンのくるまが、「お菓子、真剣に食べてますか?」というテーマでトークしていて、まさにこの話やなと思いました。くるまは、お菓子を食べるという何でもない動作を、全力で楽しんで味わってる。私も日々見習って、人生を2倍の解像度で経験したいと思います。
変えられない時間の有限性
大人になると、時間が過ぎるのが早過ぎる!って誰しも感じますよね。
え、もう3月?1月と2月何してたっけ?という具合です。
これは、抗ってもどうしようもないことだと本書の中で何回も言及されます。時間と争っても勝ち目はない。
なぜなら、人間という存在そのものが時間なんです。ものすごく長い時間の流れの中で、ある瞬間自分が生まれ、どこかで消える。歴史を見ると、本当になんでもないことです。ただ時間が流れている、それだけ。
だから、時間がないことは潔く諦めて、有限性を受け入れよう、と言ってます。
私も、ついつい本屋さんとか行って、
「こんなに読んでない本がある。時間がなさすぎる」と思って愕然としたり、
YouTubeで次々と興味のある動画をおすすめされて、
「これも見な、あれも見な!やばい時間ない!」と焦燥感に駆られたり。
でも、人生で読める本は、ほんの少し。
見れる動画は、ほんの少し。
たくさん読んだり見たりすることよりも、その時選んだその一つを、ゆっくり時間をかけて味わうことがどれほど大事か、ということに気付かされます。
できることはほんとに限られてて、とても全部を消化するなんてのは不可能なんだから、2倍速になんてせず、最初から一つずつちゃんと向き合った方がいいですよね。
なので、この本読んでから、2倍速やめました。
時間は当たり前に有限なんだ、ということを受け入れたわけです。今のところ、快適です。
てなわけで、意識変えられまくりの一冊でした。
タイパとかコスパにとらわらているみなさん、ぜひ読んでみてください!