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「プラトンは、造りかけては放置された硝子の塔の数多な残骸」
哲学史の常識って何なんでしょ?!
次の文、どう思いますか?
「パルメニデスは完璧に完成された玻璃宮(球)殿である。
それに比べれば、プラトンは、造りかけては放置された硝子の塔の数多な残骸とも見え、
アリストテレスは広大な野外運動場のようにも感じられる。」
意外でしょ?
この文は、哲学者井上忠の名著「パルメニデス」の冒頭を飾る「はしがき」 p5です!
おそらく、私の人生に影響を与えた本の1冊まちがいなしです。
この文に出遭った時、それまで漠然と思っていたけど、私なんぞが恐れ多くて言い出せなかったことを、はっきり断言していたからです!
とは言うものの、誰かが言ってることかもしれませんが、哲学を駄目にしたのは、プラトンとアリストテレスだと・・・若い頃、ふと、思ったことがありました。
せっかくの古代ギリシア哲学の誕生と流れを、「自然」から「自然」でない何かにゲームチェンジした張本人がソクラテスであり、プラトンであり、アリストテレスであると・・。その成れの果てが「現代」のサイエンステクノロジー全盛時代(つまり、ポジティブには捉えてません)であると。
おそらく、哲学史の常識とは全く違う見方かもしれませんが。
そして、私にとっての「哲学」は、ソクラテス以降ではない「ソクラテス以前」の自然哲学者たちの思想なのです。
西洋文明にとって、「アリストテレス」の影響は、絶大なものであり、実際、ヨーロッパの教会、博物館を歩くと、一目瞭然です。
最近流行のアニメ『チ。-地球の運動について-』の、「天動説」時代に「地動説」は「絶対誤謬」「死」を意味してました。その責任の初端は、アリストテレスにあるのでしょう。
しかし、未だに、冒頭に挙げた、この井上忠の一文に否を言う人、反感を持つ哲学徒は大多数なのではないでしょうか。
「パルメニデスは完璧に完成された玻璃宮(球)殿である。」井上忠
私は、この井上忠の感性をよしとします。
「常識」を疑うこと、「基本的前提を吟味すること」は、ソクラテス、プラトンの思想ですらあるのですから。
4.Nov.24 あまりにもあいまいな-レジリエンシ