お初にお目にかかります。朴と申します。
はじめまして~。
パーソルのIT系の会社でHITO-Linkという採用管理システムなどのHRechの事業責任者をしている朴(パク)です。
このnoteではBtoB向けのHorizontal SaaSの事業責任者としての約2年に及ぶ葛藤や日々採用担当のお客様から頂戴する課題や質問などを私の採用経験を基にお伝えしていけたらなぁと思っております。
てか、お前誰だよ
というツッコミもいただくかなと思いますので、初稿である今回はまずは私の自己紹介をお伝えしたいと思います。
84年生まれの満38歳。
生まれは東京都墨田区のスカイツリーの麓で生を享けました。
当時はまだスカイツリー建設が1mmもない中で、スカイツリーが建設されるのを予想するかのようにすくすく育ち、身長は190cmまで伸びた大男です。
名前は朴(パク)という苗字から想像つくかもしれませんが、国籍は韓国で生まれは東京の下町という生粋の江戸っ子韓国人でございます。
人事としてのキャリアスタート
そんな私も大学を卒業し、2007年に株式会社インテリジェンス(現在はパーソルキャリア株式会社)に就職。
配属希望は人材紹介事業部のリクルーティングアドバイザー(人材紹介の営業担当)でした。
が、、、
今でも忘れない。
2006年12月25日の配属通知には「サポート本部」との記載が、、、。
(サポート本部とは当時のインテリジェンスでのバックオフィス部隊)
営業やらないんだとショックを受けた矢先に
当時の新卒採用のマネージャーから
新卒採用グループに配属になったこと、入社する4月は繁忙期なので1月からアルバイトで就業してほしいとお電話をいただき、同期よりも一足先に社会人生活がスタートしました。
3,000名の会社で新卒500名を採用
採用担当としてキャリアをスタートした私ですが、
当時のインテリジェンスはメガベンチャーとして勢いに乗っており、
掲げた次年度の採用目標は500名。
入社して新人研修を受ける間もなく、朝から晩(本当に晩)までよく働きました。この時に応募者いただいた方への魅力訴求の発信や所作に至るまで今でも他者との接点における礎となっていると思っています。
(魅力訴求については、またどこかでお伝えしていきます!)
リーマンショックを経て、中途採用担当へ
リーマンショックによって日本中が一気に景気の底へ向かうや否や人材業も非常に厳しい局面に立たされました。
同期のほとんどが営業などのフロントに異動していく中、当時のインテリジェンスで唯一元気のあったエンジニア事業の中途採用に異動。
通年単位で動く新卒採用とは異なり、月単位で動く中途採用。
ここでは母集団形成の基礎行動と数値分析を学んだ約2年間でした。
営業になったと思いきやまた採用
その後、アウトソーシングの営業担当になりましたが、なった矢先に東日本大震災。
そんな東日本大震災で企業は会社機能を地方に分散させていく流れになり、その流れに乗じて関西エリアへの事業拡大のために転勤。
昼は商談、夜は面接。
自分でアウトソーシングの案件を受注し、プロジェクト開始のための人員を自分で採用するという、自給自足生活のような約4年間でした。
東京に帰任。そして、新卒採用へ。
私の採用生活はまだ終わりません。
東京に帰任し、インテリジェンスから分社化したインテリジェンスビジネスソリューションズ(現パーソルプロセス&テクノロジー)の新卒採用に着任。
150名くらいだった採用数を最終的には300名くらいに伸ばし、エントリー数も5,000名くらいから15,000名くらい増やし、みん就のIT業界ランキングにもランクインできるようになりました。
新卒採用から全社人事へ
新卒採用を3年ほど実施した後に、全社人事へ。
採用に限らず、労務や人事企画、発令などなどいわゆる人事業務全般を見ていましたが、全社人事での一番の大仕事は社員の報酬制度の改定。
採用力強化&若手優秀層の引き抜きを目的に当時、結構な金額を使わせていただき、全社員の給与を引き上げました~。
人材採用部の新設
全社人事を1年半行い、より採用力を高めていくためのにも人材採用部を新設して、約1年間後進を育成し、長きにわたる人事生活を卒業しました。
新たなミッションはHRech
20年からは人事生活を離れ、今まで培った採用マンや人事としての経験を活かし、新サービスを作っていくミッションに大きく転換。
これが結構難しかった、、、。
でも、この新サービスの検討で、自社のケイパビリティやマーケットの動向、ユーザーの視点等々を時間を使って、悶々としながら学べたことは今に繋がっていると実感してます。
自社サービス「HITO-Link」の事業責任者へ
HRTechを検討していく上で避けて通れない既存の自社サービスのHITO-Link。
当時は鳴かず飛ばずのこの事業をどう盛り上げていくのかというのが専ら議論の真っただ中でした、、、。
自分の今までのナレッジ、新たなHRechを検討していく上でも「HITO-Link」を中心に据えたビジネスにしていくことが先決と考え、「HITO-Link」をやりたいと上司にもお伝えし、22年に「HITO-Link」の事業責任者に着任しました。
事業責任者としての約2年に及ぶ葛藤
ビジネスとしてのコストの最適な分配に始まり、失注分析、受注分析、、、などなど。
もうここでは伝えきれないので、見せれる範囲で実際の数字とセットでこの先お伝えしていきたいと思います!
最後に
そんな私の自己紹介をつらつらと記載させていただきましたが、
今後は採用周りでの私の経験談はお客様からよくいただく質問、またプロダクトを進めていく中での失敗談や成功談をお伝えしていきますので、ぜひ楽しみにしていただければと思います!
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