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友人とは、あなたについてすべてのことを知っていて、それにもかかわらずあなたを好んでいる人のことである。

おはようございます。

米国の作家であり、教育者である、エルバート・ハバードの言葉です。

自分の人生を振り返ると、
今、私を支えてくれている友人の多くは
幼少期からの友人です。

幼少期の私とは、
今の私を作っている基盤です。
カッコつける事も知らない時代の私を
全て知っている人です。

しばらく連絡が途絶えても
なぜか久しぶりに会うと
昨日まで連絡していたような
懐かしいような
そんな安心した気持ちにさせられます。

大人になってからのお互いを
そこまでよく知らなくとも
なぜか信頼をしてしまう
不思議な関係です。

生まれたばかりに近い、
子供の頃の私を知っている友人は
私を存在させてくれた大事な人です。
彼らこそ、私が生きてきた証です。
私が存在していたことを
証明してくれる
かけがいのない存在です。

「私」は誰かがその存在を
認識してくれた時に「存在」します。
量子力学的な考えです。

幼少の時以降でも
かけがいのない友人に出会える事もあります。
出会えるとしたら、
とても幸運だと思います。

出会った年齢に関係なく、
苦楽を共にし、
成長できた友人です。

苦しんでいる姿を見て
支え、支えられた友人には
格好つける必要がありません。

その上で、
今もそばに居てくれる友人は
私を存在させている
とても大事な存在です。

幼少の頃にであった友人が
時を隔てて、
今も私の支えであることを思うと
子供の友人関係も気になります。

取っ組み合いの喧嘩をした友人、
競争に切磋琢磨した友人、
言葉も使えない時代にニコニコ笑顔でただ横に座っていた友人、
海で時間を忘れてボディーボードをした友人、
くだらないことで、共に笑い続けた友人、
一緒に先生に怒られた友人、

海外にいるために
引越しで
分かれ離れになってしまった友人が多いです。

今の時代は便利です。
連絡を取り続けることは可能です。

親の私にできることは、
連絡先を無くさずに
いつか、子供が大きくなった時に
あの時の友人と
また、繋がることができたら、
自分が生きてきた道を確認できて
自分の存在に自信を持って
再開した友人と
また新しい世界が広がるのだろうと思います。

今日、みなさまが喜び溢れる1日でありますように。

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