
91 「優しさ」の本質 〜義務としての優しさと、自然に溢れる優しさ〜
今日、鉄道博物館のプラレール広場で、息子の周りに自然と幼児たちが集まり、みんなで楽しそうに遊ぶ姿を目にしました。息子が特に声をかけたわけでもないのに、自然と場ができ、誰も排除されることなく、協力しながら遊びが広がっていく。その光景を見て、私はとても温かい気持ちになりました。
そこで、ふと息子に尋ねてみました。
「なぜ、一緒に遊べたの?」
すると、息子はこう答えました。
「優しくしようと意識してはいない。ただ普通に遊ぼうとしただけ。」
この言葉を聞いた瞬間、私はハッとしました。
「優しくなろうとする優しさ」と「心からの自然な優しさ」は、本質的に違うのではないか——。
義務としての優しさがもたらす「しんどさ」
以前、猫カフェでスタッフの方がこんなことを話していました。
「優しくなったら傷つくようになって、しんどくなった。」
その時は深く考えませんでしたが、今日の息子の言葉と重ね合わせたとき、「優しさには種類がある」ことに気づきました。
猫カフェのスタッフの方が言っていたのは、おそらく**「義務感としての優しさ」**。
「優しくしなければならない」「相手を気遣わなければならない」という意識が強くなりすぎると、自分を犠牲にすることになり、結果として傷つきやすくなります。このような優しさは、相手の反応や結果に大きく左右されるため、「せっかく優しくしたのに報われない」「感謝されないと悲しい」といった気持ちを生みやすくなります。
一方で、息子の優しさは**「自然な優しさ」**。
彼は「相手のために優しくしよう」と意識していたわけではなく、「一緒に楽しく遊ぶ」ことを目的としていました。そこには計算や義務感はなく、ただ「目の前の遊びを楽しむ」ことが最優先。その結果、周りの子どもたちと調和が生まれ、誰もが楽しめる環境が自然とできていたのです。
この違いは、脳神経科学の観点からも説明ができます。
脳神経科学から見る「優しさ」の違い
脳科学的に見ると、「義務としての優しさ」は、大脳新皮質(思考や判断を司る部分)が過剰に働き、「こうあるべき」「こうしなければならない」というプレッシャーを自分にかけてしまう状態です。この状態が続くと、ストレスホルモンであるコルチゾールが分泌されやすくなり、脳が疲弊してしまいます。結果として、「優しくしなければならない」という思考が「しんどい」と感じるようになり、自己犠牲的な優しさになってしまうのです。
一方で、「自然な優しさ」は、脳の扁桃体(感情を司る部分)が過剰に反応せず、リラックスした状態で社会的なつながりを持てている状態です。この状態では、**オキシトシン(愛情ホルモン)**が分泌され、心が満たされながら人と関われるため、「傷つく」という感覚が生じにくくなります。つまり、無理なく、自然に人と接することができるため、優しさがストレスにならないのです。
メンタルトレーニングの視点:「優しさ」は意識しすぎると逆効果?
メンタルトレーニングでは、「意識しすぎるとパフォーマンスが低下する」という考え方があります。例えば、「集中しなきゃ!」と意識しすぎると逆に集中力が落ちるのと同じように、「優しくしなきゃ!」と思いすぎると、本来の自分らしい優しさが発揮できなくなることがあります。
これは、**「フロー理論」**とも関連しています。
フローとは、何かに没頭し、最適なパフォーマンスが発揮される状態のこと。フローに入るためには、「過度な自己意識」が邪魔になります。「こうしなきゃ」と考えすぎると、リラックスした状態が崩れ、自然な行動が取りにくくなるのです。
息子の場合、「優しくしよう」と意識せず、ただ遊びに没頭していたため、結果として周囲の子どもたちと自然に調和し、心地よい空間を作ることができたのだと思います。これは、フロー状態に近いものだったのではないでしょうか。
「自然な優しさ」を育むために大切なこと
この経験を通して、「優しさ」について改めて考えさせられました。
「優しさ」は意識して生み出すものではなく、自然と溢れ出るもの。
それは、無理なく楽しく人と関わることから生まれるのではないでしょうか。
では、どうすればこの「自然な優しさ」を育むことができるのか?
① 無理に「優しくしよう」としない
「人に優しくしなきゃ」と考えるよりも、「一緒に楽しもう」という気持ちを大切にすることで、結果的に優しさが生まれます。
② まずは自分が楽しむこと
自分自身が楽しめていると、自然と周りの人とも良い関係が築けるようになります。これが、メンタルトレーニングにおける「セルフコンパッション(自分への優しさ)」にもつながります。
③ 過度に他人の反応を気にしない
「せっかく優しくしたのに…」と考えすぎると、相手の反応に依存してしまいます。「相手がどう思うか」ではなく、「自分が心地よく人と関われているか」を大切にすることがポイントです。
まとめ:「優しくなろうとする優しさ」と「自然な優しさ」は本質的に違う
義務としての優しさは、時に人を苦しめてしまうことがあります。
一方で、自然な優しさは、無理なく、相手と楽しく関わることで生まれます。
今日の息子の言葉は、私に大切なことを教えてくれました。
「優しさは、意識して作るものではなく、自然と溢れ出るもの。」
この気づきを、これからのco-育てメンタルトレーニングにも活かしていきたいと思います。