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フリーランス

庄野雄治さん。本の帯には「コーヒー業界が冬の時代に、何の経験もないまま 徳島でコーヒー屋を始めたアアルトコーヒー・庄野雄治」とある。この本の著者である庄野さんは珈琲の焙煎士さんだ。

本の「はじめに」には

「凡人には凡人の生き方がある。一流でも二流でも三流でもない、普通の人が地方でお店を続けていくために本当に必要なこと」「何とかフリーランスで十年生き延びることができた。もがき苦しんで、いっぱい間違い失敗してきたからこそわかったことがたくさんある。生まれてこの方、世界と折り合いをつけることができず、日々格闘している私のような人間でも何とかやっていけるんだよ、と伝えたい。」
とあります。

僕は、会社員を辞めてフリーランスの焙煎士を目指された庄野さんも、それを容認された庄野さんの奥様も「普通の人」ではないと思うが、たぶん、庄野さんがおっしゃられている「普通」とは「矢沢永吉さんになるような才能はなかったが」という意味だろう。ただ、そういう「秀でた才能」のあるなしよりも「フリーランスでいたい」というマインドの強さの方が、実は、その人をフリーランスたらしめる大きな要因だと思っている。

僕も、若い頃、音楽やってたり美大に行っていたり、嫌というほど「才能のある奴」「芸に秀でた奴」を見てきたけれど、そうではなくとも、ずっとフリーランスで不惑以上を来れた連中は、才能や芸では二番手、三番手でも、どうしても「会社員にはなれない」という、そのあたりに強い意志があったように思う。

これじゃないかな。

フリーランスを続けるっていうのは非正規雇用の会社員を渡り歩くというのとも、ちょっとニュアンスが違う。求人雑誌をめくるのではなく、自分でお客さんを探す。そういう意味で凪の日もあれば大嵐の日もある。だから、経営感覚も必要。でもね。自分らしくいられるのは、やっぱりフリーランスだ。

「できれば」ではなく「それでも」という強い志向があるかどうか。

たいへんはたいへんです。なんの後ろ盾もなく「自分の信用が担保の全て」っていうのは、やっぱり生半ではない。この本の中では、庄野さん、さらっと書かれているけれど、現実に「そうしていく」には難しいことがたくさんある。

ただ、芸(特殊なことができる)がないとフリーランスになれないというのは誤解だし、肝心なのは「フリーランスになる」と決意することで、あとは「出会い」。そういうアングルから読むと参考になること満載の本だ。

庄野/雄治 著 「誰もいない場所を探している」mille books刊
大塚いちおさんのアートワーク(ブックデザイン&イラスト)も秀逸。