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1966年だから昭和41年だ。 楽曲「これが青春だ」は、布施明さんのデビュー曲 竜雷太さんをメジャーに押し上げた 青春ドラマといわれるジャンルの先駆け的な 同名作品の主題歌だ。 以下はその歌詞 今じゃ、時代がついてこないだろうと思う。 大きな空に 梯子をかけて 真っ赤な太陽 両手で掴もう 誇り一つを 胸にかかげて 怖れ知らない これが若さだ そうとも これが青春だ 嵐のなかも 君のためなら 七つの海を 泳いでいこう 誇り一つを 胸にかかげて 夢に飛び込む これが若さだ
彼は、日本ではあまり奏者のいない楽器の名手だった。 楽器云々というよりは彼の音色が欲しくて彼を呼ぶアーティストも多く 1970年代初頭という時代のアイコンになったCMソングにも 彼の演奏が全面的にフューチャーされたものがあり、 何枚かの記念碑的なアルバムからも、彼の演奏が聞こえてくる。 ときどきはツアーにも同行していた。 ただし、ギターやベースのように活躍の場が広いという楽器ではない。 出番は限られていた。 でも、そこのことは彼は気にする素振りもなかった。 出番がなければ
アートも、専門家だけで話が済むなら、これほどに拗れた状況に置かれることはなかったろう。でも実際には「資金の執行」を決断する強い立場で「フツウの人」が絡んでくる。彼らだって、その立場を「志願」したわけではなく「人事異動」で、その席を占める。だから事前の知識も経験もなしだ。 しかも、そこにいるのは長くて数年だ。また縁もゆかりもないところに異動していく。 これはお役所でも民間の企業でもそうだ。 これは、第一回目の「あいちトリエンナーレ」を、当時の担当者が語った一冊の冒頭にあっ
あのとき 頼りにしていた連合艦隊が、市井の国民が預かり知らぬところで、すでに壊滅していた。オフクロ方のばあちゃんは、空襲が激しくなってから「連合艦隊は何をしているんだろう」と思ったそうだ。 あまり褒められたことではないが、こういう人も少なくなたっかろう。 高度成長期以降、この国で頼りにされてきたのが、自動産業産業であり、家電系のメーカーだ。でも、「家電系」では、すでにシャープがこの国の企業ではなく、東芝は風前の灯だ。V字回復したSONYも、経営陣も出資者についても「この
企業通貨…文字通り「企業が発行するお金」だ。 おなじみの「カードのポイント」も企業通貨の一種。もちろん企業通貨というくらいで国家の中央銀行の管理下にあるお金ではない。 でも、僕らは溜まったポイントで(日本で言えば)「円」と同じように買い物をすることができる(使える範囲は限られているとしても)。コンビニでは、オリジナル・ブランドの食品だけでなく「円」と同じように雑誌を買うこともできる。 各企業は、収益の社内留保に熱心で、しかもグローバルな多国籍企業ともなると、資金力は小さ
技術の進歩スピードは、すでに生身の人間では追いついてゆけないほどに高速になってしまった。だから常にトレンドをキャッチアップして生きていこうとするより、自分自身に見合ったライフスタイルを見つけた方がいい。たぶん、死活問題になる。AIとも上手く付き合っていく。呑まれない。
まだ、多くの人々が巨大な「フツウ」に参加して、それで生活を成り立たせているところがある。 (自分の脚で歩き始めた人もずいぶん増えたけど、まだマイノリティだ) 「フツウ」っていうのは「最大公約数」だから、剪定し過ぎの樹木のようなもの。もともと「フツウ」に生まれる人はおらず、もとはみんなが、それぞれに「個性」ある個人だ。でも、主に「食っていく」ために、自らにハサミを入れて「フツウ」になってがんばる。 だから疲れてしまうこともある、と。 そんなとき、街まで「フツウ」だったら
できるだけ「楽(らく)」に働き、日々の買い物は便利に済ませ(つまり楽で)、水を飲むにもトイレに入るにもノーストレスで自動制御がいい。 (井戸まで水を汲みに行かなければならないのがスタンダードだったんだし、僕が生まれた頃はヨコハマの都心でも定期的に「汲み取り」をしなければならないトイレは残っていた) 仕事だって、するべきことがマニュアルに書いてあって、そのとおりに業務を処理すればいい。目の前にお客さんが来れば、誰かがつくった選択肢の中から商品を選ばせて、マニュアルどおりに商
お金に働いてもらって、それだけで食っていけるほどの資産を持っているわけでもない僕らは、つまり「働く」しかないわけです。「働く」は喰っていくための最後の砦ともいえる。 でも、高度成長期も半ば以降は、その「働く」を甘くみていたし、手も抜いてきた…特に高度成長な戦後日本しか知らない世代は「赤信号、みんなで渡れば怖くない」とばかりに「楽して儲ける」を礼賛してきた。 楽ちんで、簡単で、ノー・ストレス… 長い修行期間を経て、毎日が真剣勝負というような職種を選ぶ者が変わり者…「こつこ
多くの人が仕事を求めて「大都市(特に東京)」に集まってくる。故に「大都市」は過密。外国人の投資家の介入もあって不動産価格は高止まり。不動産に関する経費が高ければ、食品やモノを売ること、飲食するんだって高止まり。託児施設だって高い家賃と無縁ではない。 給料が上がったって、それが広範な「消費拡大」に繋がるかどうか。税金だって、これからは負担増だ。 つまり、子どもを産み育てる環境ではない。 大都会で子どもは増えない。 地方には頑張ってる自治体もあるけれど、総じて「過疎化」だ。仕
食べ物にしても 生活雑貨みたいなものにしても 片や「特盛」消費な方向へ 片や「質的」な方向へと洗練されていく… そういう感じで「売り手側」が はっきり舵を切る…そんな感じが少し鮮明になってきたように思う。まだ「買い手側」の意識は、そんなに鮮明じゃないと思うけど。つまり、売り手側が(先を見越して)先手を打ってきているというところなんだとも。 「中流」ド真ん中な消費ゾーンがあって、それが、少しぶれたところあたりに「上流っぽい消費ゾーン」と「下流っぽい消費ゾーン」がある…そんな
かつて大箱のロードサイド・レストランは「ファミリーレストラン」と呼ばれた。でも、そういう感じが残っているのは、郊外の一部「幸福な住宅街」にある店舗だけかもしれない。それも毎日というわけではなく、土日の中間だけかな。今は「一人客」の方が目立つ。 朝も「おひとりさま」予備軍のご高齢「おふたりさま」か、やっぱり「一人客」ばかりで、おしゃべりのない空間にクラシック音楽などのBGMが空虚に流れているだけだ。 若者がいても、ほとんど勉強している。二人で来ていても、お互いスマホをいじっ
面倒臭い。そこから派生するストレスが嫌。 だから、世の中、こんなになっちゃんたんだろうと思う。 でもね。 APAホテルの「秒」でチェックイン。もちろんAIで無人。これが汎用されれば、将来の「ホテルマン」という技能は失われる。 (修行の場がなくっちゃうから) でも、多くの人はそんな状況を憂うることはない。就業者としても修行なんてない方が楽ちんだし、利用者だってフロントと応対するのは面倒だ。「秒でチェックイン」の方が楽ちんでいい。そんなところでタイパしても、何を得するのか
タテノカズヒロさんの著作「コサインなんて人生に関係ないと思った人のための数学のはなし【マンガ】」(中公新書ラクレ)。その例示マンガの中に彼女に靴をプレゼントしたいのだが、彼女の靴のサイズがわからずに思案する彼氏が登場するものがある。 彼は、彼女の身長については154cmと知っていたので、身長170cm、靴の大きさ26cmの女性の友だちがいたことから26cm×(170cm分の154cm)の式で彼女の靴のサイズを割り出そうとする。 でも、この公式は「身長が170cmの女の子の靴