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信じる

自分を信じる。自分の生き方を信じる。自分と他人を比較しない。

昨日の自分と今日の自分は同じではありません。過去があって今がある。そして未来はいつも未来です。見えていなかった過去から見えてくるものがあります。

信じるとは何を信じるのでしょうか?過去の事実を信じるのです。事実は変わりません。事実から想像した真実は変わることがあります。それは想像という行為が間違っているからです。真実が事実になるには想像が介入していない状態にすることです。

見た目だけが事実ではありません。見えていない事実がそこにあるのです。
見えていない事実を見える状態にすることで真実が事実になるのです。

水が沸騰するのは100℃ではありません。沸騰すれば水蒸気となって水は蒸発して温度は100℃以上にならないのです。でも見えていない気圧が関係しているのです。気圧が低ければ100℃以下でも沸騰します。逆に気圧が高ければ100℃以上にすることができるのです。

富士山の頂上では圧力釜でなければご飯を炊くことができないのです。
事実を信じる。事実は裏切ることはありません。裏切るのは事実では無いのです。裏切られる事のない事実を知って信じるのです。

信じることなく疑ってばかりいる人生と信じられること信じられないことがわかっている人生ではどちらが楽しい人生だといえるでしょうか?

なんでも信じることはないのです。信じられることを信じましょう。
信じて良いのは事実です。事実か真実かを区分する知識を持ちましょう。

真実だと言われても自分が事実だと思わない限りは信じないことです。
事実は事実の積み重ねです。真実は事実を心で見たものです。

嘘をつく人はいません。事実を心が真実にしているのです。

真実から事実を取り除くとそこには心が残るのです。その心を考慮するのが思いやりです。正直な人は事実を述べません。嘘がつけないからです。

不足している事実を見ることで正直な人の心が見えてきます。心が事実を隠しているのです。思いやりは事実の積み重ねです。思いやりの行動で信じることを増やしていきましょう。

信じることを増やすことが学ぶことです。

事実を疑うのは誤った真実につながります。誤った真実からは事実を見ることが困難になります。真実から想像を省いて事実を見るのです。足りない事実を見つけるのです。

物語は事実を心で装飾して感動を得るものです。物語から事実を受け止めて感動すれば良いのです。信じるのは感動した事実であって物語を事実だと信じなくて良いのです。

人は事実を物語にして伝えているのです。

離婚したのに親は死んだと伝えられたとしてもそれは嘘ではないのです。
事実は死んではいないけど心は死んだのだと理解しているのです。
離婚した事実を受け入れていないのです。

死んだ親に代わって自分が頑張らなければと思っていたのに事実を知って裏切られたと思うのも事実です。一番信じられ人から裏切られたと思うのです。事実をいつか伝えなければと思っているのならば裏切られたと思われないように離婚した事実を受け入れてから行動するのです。

夫婦で信じるとはお互いに事実を受け入れることです。
子どもを信じるとは事実を受け入れて信じることです。
友に信じてもらうには事実を包み隠さず打ち明けることです。

信じるとは事実を見て受け入れることです。嘘は嘘だと信じれば良いのです。嘘を嘘ではないと思うから信じられないのです。

靴を片方無くした子どもが親に「犬が咥えて持っていった」と言いました。
事実は池の側で足が滑って片方の靴が脱げたのです。池に浮かんでいる靴を一緒に遊んでいた友達が竿で取ろうとして沈めてしまったのです。

自分に落ち度はありませんが友達を庇う気持ちがあったのです。でも友達とはそれ以来疎遠になってしまったのです。事実を正直に話していれば良かったのかそれとも嘘をつくことも必要だと学んで良かったのか?

今は正直に全てを話しておけば良かったと思っています。事実と真実の違いをもっと早くから理解できていたら悩むことなく楽しい人生を送れて居たと思うのです。

事実は靴を池に沈めたのは子どもの私です。


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