物語
今日の写真は手巻き寿司
物語とは物語る事、またはその内容です。物語るとは、あるまとまった話を語る事です。私の話は物語です。その中でもエッセイつまり随筆です。
随筆とは、心に浮かんだことや見聞きしたことを筆にまかせて書き綴ることです。全くその通りで筆では無いのですが、キーに任せて打ちまくっているのです。筆とは違って書き直しが容易にできるので誤字脱字を気にせずにどんどん進めていけます。
私は小説を読みません。専門書や辞書が好きでそちらを読んでしまうのです。専門書や辞書は裏切りません。物語に綴られていることは真実でしょうか?
真実です。
新聞記事は真実を現実を見聞きした事を綴っています。
エッセイはそれに心の中のこと、想像したこと、思ったことを書いています。
同調を望んでいるのです。
吐き出すだけの物語は悪口や暴言と同じです。そこには思いやりも気づかいも慈悲の心もないのです。訳のわからないお経がありがたいのではなくその教えがありがたいのです。お坊さんはお経を通じてその教えを学ぶのです。
学んだ事が生かされる保証はありませんが、学ばないよりは学んだほうが良い場合と悪い場合があります。良いか悪いかは結果で判断されますが、私は人生は幸せになる為にあると思うのです。他人の幸せを奪ってはいけません。その二点を守る為に他人の幸せを奪わなければ自分の幸せが無いのであれば何もすべきで無いのです。
あなたが幸せならば、私は幸せです。それは自己犠牲とは違うのです。
あなたとわたしは同じ、一体化するのです。あなたが悲しむことはしない、苦しめることはしないのは一体化すると同時に自分を苦しめることはしない気持ちがいるのです。
信じるから裏切られる。一体化すれば裏切られることはないのです。同じように思い、行動し、離れることなく生活するのが一体化です。
家族でなくても生活に関係するのが生活圏です。住まい、買い物、公共施設に交通機関は、信用、信頼、信じているから生活できるのです。信じる事ができなくなったならば生活圏を変えれば良いのです。
一体化していれば信じなくても良いのです。生活圏を変えることもありません。
一体化することは信じることもなくやめることもなく変えることもないのです。自然の摂理、人間の摂理を納得していれば、しなければならないことだけしていれば幸せになれるのです。
自然の摂理、人間の摂理の物語はまた後ほど。