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”有り難い”からありがたい
皆さんごきげんよう、ぱんだるまです。
今回は、アルバイト中にふと感じたことを書いてみました。
タイトルが全てと言ってしまえばそれまでなのですが、よろしければさらさらっと読んでみてください。
さて先日、バイト先のスタッフさんにヘルプを頼まれて、数駅先の場所にバイトをしに行きました。ここでは便宜上、ヘルプ先の場所をA店とします。
一応私のアルバイト先について書いておきますと、細かいことは個人情報等の関係で書きませんが、かなり人の出入りが激しく且つ子供が多いため彼らの行動に目を配りながらの仕事です。
一定程度の決まった仕事はあるのですが、基本的にはスタッフさんに頼まれた作業をこなしていくのが主な業務内容のアルバイトなので、頼まれた仕事をこなし、終わるとスタッフさんに報告して、次の仕事をもらう、といったスタイルです。
通常通りに頼まれた仕事を終えて、終了の報告をスタッフさんにすると、すごく丁寧に、言葉の前に”ほんっとうに”とついているのではないか、というくらいの「ありがとうございます」をにこやかに返してくださいました。
普段の場所ではそれ程丁寧なお礼を言われることがあまりないので、その瞬間がすごくうれしくて、思わずマスクの下で笑みがこぼれました。
しかし二時間ほど働いて、だんだんとその「ありがとうございます」に違和感を感じるようになっていました。
前述したとおり、基本的には頼まれたことをこなすだけで、時々決まった時間に決まった作業があるアルバイトです。
その決まった作業というのも、本当に些細な、小さなことなんです。
例えば、A店では正面ドアの電子ロックをかける、という作業が定期的にあります。といっても、機械のボタンひとつを一度押すだけ、という簡単なものです。
電子ロックをかけて、もともと行っていた作業に戻る前にスタッフさんにそのことを報告すると、他の少々時間がかかるような作業を報告した時と同じトーン・声色・表情で「ありがとうございます」と返してくださいました。
そう、どんな作業でも、それがたとえ大きかろうが小さかろうが、A店のスタッフさんは必ず、心のこもり具合が高めなありがとうを伝えてくださいました。
誤解のないように書いておくと、もちろん毎回しっかりとお礼を言われることは、とても嬉しいことです。
どんな仕事でも、お礼を言われると「あ、やってよかったな」と思うことができます。
ここで私が疑問を呈したいのは、その回数と心のこもり具合は、コントロールされて然るべきではないか、ということです。
繰り返しますが、大前提として、どんな些細なことでも、心を込めて感謝を伝えることは大切です。
自分を思って相手がしてくれた行為に対してお礼を伝えることは、守られるべきマナーでもあります。
しかし、誰のどのような行為に対しても同じような感謝の伝え方では、「この人は本当に自分に対して感謝の念を抱いているのだろうか」と相手に疑わしい感情を抱かせてしまうかもしれません。
私の今回の経験もそうですが、例えば、軽く頼まれて近くにあったペンを友人に渡したときの「ありがとう」と、同じその友人の誕生日にテーマパークとホテルまでサプライズで用意したときの「ありがとう」が全く同じだったらどうでしょうか。
前者では心のこもった感謝に感じられても、その後に後者の状況になると、「せっかく時間をかけて用意したのに」となんだか悲しい気持ちになりますよね。
同時に、丁寧も行き過ぎるとあまり良い印象を他の人に与えないのではないでしょうか。
たまたま前を歩いていた人のハンカチの落とし物を拾っただけで、まるで命を救われたかのような「ありがとう」を返されると、大袈裟すぎはしないか、この人は本当にそう思っているのだろうか、と疑わしい感情が少なからず湧いてくるかと思います。
何度も言いますが、感謝の意を相手に伝えることは大切なことです。
大切であるからこそ、状況や相手との関係性などを考慮した上での「ありがとう」を伝えるべきです。
有名な話ではありますが、”有る”ことが”難しい”からこそ、そこまでにかかった相手の苦労や時間を思って”有難う”を相手に伝えなければなりません。
「有難う」の安売りをしないよう、自分も気を付けていきたいです。