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孤食が人生を変える│シェアハウス生活で気づいたこと
本日は久々に少し重めの記事をお届けしようかと思います
ご興味ある方は、ぜひお付き合いよろしくお願いします
少し先に関係のない話をさせていただきますね笑
私の記事の書き方って恐らく平成のブログのような書き方だと思うのですが…
正直、令和には時代遅れですかね?笑
前回こちらの記事で若干書き方を変えてみました
個人的には、余白を多く持たせた方が読みやすいのかな
と思っていたので
新たな挑戦ではありました
やや書き方変えてみますので
もしリピーターさんなどで、何かご意見ありましたら
お寄せいただけると助かります、よろしくお願いします
では、早速本題に入りたいと思います
あ、そうだ!
あと、来週(3月1週目)は若干多忙なので記事が更新できなかったらすいません
予めご了承ください、ということです笑
話は戻りまして…
近頃はシェアハウスの民達に大変よくしていただいております
昨日なんかは、本人を間に挟んで誕生日プレゼントの作戦会議をガチでやっておりましたからね笑
(本人いますよ?ていう笑)
私的には、貰う物は安かろうが高かろうがあまり気にしないのですが
ただ、そうやって「ん~」「これがいいんじゃない?あれがいいんじゃない?」って
私の為に頭を使って試行錯誤してくれていることが何よりのプレゼントだなと思います
そして、その光景がとても嬉しかったです
それだけ私のことを考えて選んでくれている…ということですからね
大変ありがたいです
シェアハウスに住んでみて感じるのですが
今一緒に住んでいるからこそ、家族よりも理解されている気がします
食の好みとかハマっているものとか生活習慣だとかetc…
そりゃぁ、一緒に住んでますからね笑
もちろん住人全ての人のことを把握しているか?と言われたら全くそんなことはないのですが…
よく話す人や、生活リズムが似ていて家の中でよく遭う人のことは、知らず知らずのうちに知識が増えていきます笑
その中で1番会話が盛り上がるシチュエーションは、ご飯を食べている時ですね
ここで、最近私は気づいたんです!
人のことを知る機会が最もある時間
それは、食事の時間なのではないかと
友人と遊びに行くとき、どこに行きますか?
大抵、”食”の絡んだところへ行くのでは?
・飲みに行く
・ランチ行く
・カフェ行く
etc…
ご飯ってお腹も満たすと共に、人の心も満たしているなと感じるんですね
”人と食べるご飯っておいしいね”なんて言ったりしますけど
まさにその通りだと、最近の出来事を通してつくづく感じます
特に、家族間のご飯時間
私は今までその価値についてとても軽視していました
というか価値が分からなかったかったからです
幼い頃は、習い事で基本夜遅くに1人で毎日冷めた夜ご飯を食べる日々でした
小学生になってからというものの、家族でご飯を囲んでワイワイ食べた記憶はないですね
恐らくなんですが、ご飯時間を犠牲にしていたのも
家族崩壊となった原因の1つだと、今になって思います
なにがそんなにも問題なのかと申しますと…
最近人とご飯を食べる機会が増えて、発見がありました
誰かと共に過ごすご飯時間は、実は報告会なのではないかと
報告会とは?ですよね
・今日はこんな日だった~
・仕事の愚痴~
・嬉しかったこと~
・スーパーのお得情報の交換~
・ニュース~
etc…
時にはそれが枝分かれして、過去の話やパーソナルな話になることだってあります
それが人と人との親交を深めるきっかけとなっているのかもしれないのだと気づきました
加えて、人同士が共に暮らしていく中で必要なコミュニケーションなのだと確信しました
そんな何気ない話が意外と大切で、人との人間関係を構築する上で欠かせない存在となっているのだと思います
だから”孤食”というものは、ただただ自分をひとりぼっちの暗闇の中へ追いやっているだけの自虐行為です
親が子供のことが分からないなんてよくある話じゃないですか
でも、お仕事や家のこともあるから子供に付きっきりになるわけにはいかない
だから、ご飯だけは一緒に食べようやって話です
別に無言でもいいんです
一緒の空間にいるだけで、違和感がある日もあれば、何かしら変化が見受けられれば気づくはず
あーだこーだ言わなくとも、ただ同じ食卓を囲むだけでも相手のその時の状況は分かることも多いはずです
急いでいるんだったら、何かやるべきことややりたいことがあるんだろうし
しょっぱいものばかり食べていたら、疲労が溜まっているのかもしれない
親子関係に限った話ではありませんよ
恋人や夫婦でも同じようなことが言えます
最低限、食べてるものが違っても同じ時間にご飯さえ食べていれば
何かしら会話は生まれるだろうし、関係が悪化することはまずないのでは?と考えます
それほど、ご飯の時間を人間にとってとても有益な時間を提供してくれているのだと感じました
実際、私もシェアハウスで親交が深まり、プレゼントがもらえるまでの仲になったのは確実にご飯を食べる時間が多くなったからだと感じます
ここで、少し小話タイムですが…笑
現在はニートちゃんですが
それまでは四六時中働いていました
若干夜型のような生活リズムでみんなとあまり遭うことがありませんでした
ご飯を共にするなんて全くありませんでした
基本1人で部屋でPCと向き合って食べていたので、シェアハウス内で仲が深まるという動きは1ミリたりともありませんでした
ただ、ニートちゃんになってからというものの
生活リズムが正常になり、住人の人達と遭う機会が増え
私も少しずつご飯の時間にお邪魔するようになると、自然と会話も増え
すると、相手のことも知っていくようになり…
良い方向に転がって、転がって…今
という感じです笑
ま、正直私が変わったというよりも相手の方々の心が広すぎたというのも関係していますが…笑
なんでも「たべ、たべ!」って言ってくれるし
皆さん年上だということもあり、よく贔屓してくれます汗
いつもありがとうございます
あとは、そうですね、シェア文化がもの凄いですね
前回のシェアハウスでもあったのですが
比較的治安の良いシェアハウスは昭和時代の近所に食べ物を配る的な文化があります
※もちろん、外国人も含め
どういうことかというと
【例】
「これ余ってるから食べる?」
「これ食べきれないからあげる!」
「作り過ぎたから少し分けるよ」
「ついでにお1ついかが?」
「これ食べたことないやろ?食べてみ?」
という…
それぞれがそれぞれに食べ物を分け与えるという不思議な文化がありますね笑
みんなで朝ごはん食べよう!となれば、各々が持っている食材を出し合って
「チーズこの前買ったんで使ってください」
「ソースこれならあるよ!」
「パンある人いる?」
みたいな…
通常であれば考えられないような光景が広がっています
ほとんど金銭が絡むことはないですね
基本、自分が食べたいものを買ってくる→誰か食べるだろうから多めに買ってくる→人からもらう→自分もあげる
の繰り返しです笑
なので、自分が食べたいものは多めに買う、作るという人も結構います
なぜならば、人に少しずつあげていると無くなるから笑
最初、どういう感覚なのか理解できなかったのが実はの話なのですが…
基本、私は三兄弟でそんなに裕福ではなかったため
『先に食べないとなくなる』『取ったもん勝ち』『独り占めしてなんぼ』
という考えしか持ち合わせていなかったので、理解するのにやや苦しみました汗
『ど~して、みんなシェアしたがるのかね~』と…笑
最近ようやっとわかってきた気がします
かつ、私もそんな癖がついてきたようにも思えます
以前までだったら、自分のことだけしか考えなかったのが
最近は常に『この人に1口あげようかな』とか考えがちになりましたね
(自分のお財布と相談しながら)
あと、あるあるなのは
私の住んでいるところでは、出張の人が多くて、その人達が食材食べきれないから消費しといてがありますね
ありがたいことです
あとは、誰これ構わず回し食べしがちですね
抵抗がない人が多めです
ちなみに、私もある程度仲の良い住人であれば食器も減るし、やりがちです汗
小話がだいぶ長くなりましたが、まとめに入ります
なんだかんだ話してきましたが、結論!
ご飯タイムを甘く見るな
ということですね
ご飯タイムって本当に人の本性が出る場だと思うし
その人の状態も分かりやすい場だと感じるんです
だからこそ、関係を構築したい相手や
一緒に過ごさなきゃいけない家族や夫婦間の場合は
特に必要な時間だと思います
コミュニケーションをそこで全て賄えるのではないか?と言っても過言ではないくらいです
そしてなにより、人と食べているご飯は何より美味しいですし幸せです
それだけです
幸福度が安定しているから、最近は症状が安定しているのかしら…?
わかりませんが笑
皆さんも誰かとご飯、食べてみてはいかがでしょうか?
本日も最後までご覧いただきありがとうございました。