⭐️学び:心は自分で磨くもの
私たちは学ぶことを「覚えること」だと思っているようだ。
何かの課題を与えられてそれをこなすということに慣れきっている。そして、それが楽なのだ。
指示待ち人間などと揶揄されるが、それはほとんどの人がそうなる傾向にあるはずだ。そこから脱却することは簡単そうで難しい。
心について学ぶことは知識を得たからといってうまくいくものではない。
釣り道具を与えられたからといって魚が釣れるとは限らないのだ。
それよりも、釣れそうな場所を見つけたら、そこにいる魚をどうやって釣るかという思考の方が役に立つ。道具は後だ。
頭が良すぎると、何でもかんでも覚えこんで知識とすれば、うまくいくという心理傾向に引っ張られて、全く検討違いの方向へ進むことになる。
心について学ぶことは、日常生活の中で生まれる課題について、ゆっくり考え納得しながら学ぶことだ。そして行動へつなげていくものだ。
記憶することではなく感じることだといった方がいいのだろう。
経験や成功体験が自身を変えてくれる。
魚を釣ったことがない者が「知識」を用いて語ってみても何も解決しない。
知識はなくても「経験」によって語る者の方が学ぶ価値があると思えることでわかるはずだ。
子供の頃からの習慣による心理傾向によって、覚えることが優れていると思い込みがちだが、それは学校生活で有効であっても、他の分野では有効とはいえないという経験は誰でもするはずだ。
そういったことも心について学ぶとわかることだ。
ぼくは経験によって課題に当たり、そこから考えることが学ぶということだと解釈している。
大それたことをしたいわけではなく、個人的な心の学びの重要性を知って欲しいと思っている。そんなことを長くやっている。
上から目線というやつではなく、「五分五分」の付き合いの中でやろうとするからなかなか前に進まないが、それはそれで良い世界観が出来上がってきているように感じている。
これも心について学んだからわかったことだ。