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⭐️学び:机上の空論を捨てる時
ぼくは勉強は好きなのだが、記憶するだけの勉強は全くやりたいとは思わない。
いつも愚痴りたくなるのは哲学などの「〇〇哲学ではね」といった他人の知識をうろ覚えして自分の知識かのように言う話は最悪だ。
哲学は何かを覚えることなのかと思ってしまう。
学生時代に経験した記憶力に頼った試験勉強をいまだに勉強のことだと思っているのはいただけない。
勉強で得た知識はすぐに実践に移してこそ知恵となるのだ。
ちょっと生意気なことを言わせてもらうと、勉強というのは行動の中で不満が生じた時に「何が必要なのか」という疑問に答えることがそれなのではないだろうか。
そうしない人のことを「学ばない人」と呼ぶので分かりやすい。
必要性のないことを記憶することは勉強ではない。意図は別にあるはずだ。たとえば自慢したいとか。
転ばぬ先の杖によって勉強する人は必要性があるからだ。それは実践の中から学んだことだと思う。
絵を描く際にわかるのは、理論や技術を記憶したところで絵を描くことはできない。
描きながらなぜ描けないのか、どうしたら描けるのかを感じなければ勉強へはつながらない。
英単語をたくさん覚えても話すことができないのは、話す機会がないからだ。
話す機会が多ければ、何が足らないのか、何が必要なのかがわかるはずだ。
机上の空論がこれまでもずっと嫌われてきたのにそこから抜けきれない。
その原因は実践が圧倒的に不足しているからだ。
他人の知識を記憶して披露したがる人は、勉強が好きなのではなく自慢したいからだ。
「どんな時に使えばいいの」と質問すれば答えがないのですぐにわかる。机上の空論だったのだ。
「先ず行動ありきだ」こう言うと「どうしたらいいの」と思うならそれが勉強の対象だ。机上の空論から抜け出した瞬間でもある。