人間は似たり寄ったり
人間の心理には「自分は特別である」といったものがある。
頭はそこそこ悪くないし容姿だってまあまあいけてるくらいは誰でも思うだろう。
他人には間違いがよくあるが自分はそれほど間違っていないとも思う。
そう思うことが人間の心理傾向にはある。それを乗り越えるのは理性なのだが、それを使えずに本能に従うのが人間なのである。
私たちが大してものを考えずともうまく生きていけているように思えるのは、意外にもそういった心理傾向に守られているからでもある。
「あの人すごいな」「あんな人みたいになりたい」といった人間の心理傾向が、ごく一部の人をきわだてさせることになり、それに乗っかる人はおびただしい数にのぼる。
また、虚栄心は経済をも動かし、購買意欲をかき立てることに成功している。
「私は特別である」という誰にでもある心理傾向に従うことは誰にでもある心理傾向でもあるのだ。そこから抜け出そうとすることも心理傾向でもあるのだが、誰にでもある心理傾向ではない。
カントも述べたように、そこそこうまく欲求を満たすなら動物的な本能に従えば何とかなるが、私は人間にとっての課題は、思考に従って生きることではないかと思うのだ。そう考えることは誰にでもある心理傾向ではない。
本能から理性へ移行するには高く分厚い壁があるように思える。
私は理性に従って生きることに強い興味があり、実践すると何に適しているのかを知りたいとも強く思い、それを生きる課題だともしている。
だからといって簡単なことを難しくしたいわけでは全くない。むしろ難しいことを簡単にしたいと思っているのだ。
しかし、難しいことは誰がやっても難しいことは真実で、本能的な心に引き戻されることはしばしばである。それでも、今わかっているのは、本能に従うよりも理性に従う方が心の負荷は軽い。だからといって、このことが普遍的な法則になるかどうかはまだまだわからない。今朝早くから「人間は似たり寄ったりだ」ということは真実ではあるが、その中でどう考えるかについて考えてみた。