⭐️エッセイ:心の学びは宣伝ではない…
この世はサバイバルだ。銭儲けの話ばかりが幅をきかす。
「儲かりますよ〰︎」「成功しますよ〰︎」と言うと「うそ!」と言いながら飛びつく人はゴマンといる。
情報と宣伝とがわからない人がゴマンといるのだ。
そういったことを知っている人は、知らない人へ「情報」と称して「宣伝」していく。
そこへ誘導されると、誘導した者だけが儲かり、誘導された人は損をする。
こう言うと「夢がないな」と冷たく突き放されサヨナラとなる。
なんやかや言っても皆儲けたいのだ。儲けさせるよりも儲けたいのだ。得をしたいのだ。その気持ちを否定することはできない。
ぼくは「他人の犠牲にならないけれど、他人を犠牲にもしない」という哲学で生きている。他人に得をさせたいとすら思っている。
しかし、この思いは存外伝わない。ハッタリをかませないからだ。
自分から「これは儲かりまっせ!」と言わないからだろう。自分で考えて欲しいのだ。
ぼくは銭儲けのサバイバルからは遠ざかっていたい。大儲けする必要もないし、目指そうとも思わない。
そんなことしなくても、人間同士、五分五分の付き合いをして、お互いが犠牲にならないようにすれば何とかなることがわかっているからだ。
一見相手よりも常連を増やした方が儲かると言えばわかるだろう。
ハッタリは一見を増やすが、長い目で見ると信用が失われる。
ぼくのnoteでの記事は、常連さんを増やそうとするものだ。見た目ではなく質にこだわっている。
欠点は文脈が読み取れなければ何を言っているのかわからないことだ。
ぼくに関連する人の中には、noteの中であっても、現状が苦しかったり逆境にある人もいるだろう。
そんな人と共に、心の変化によって新しい世界観を作っていければ、大げさではなく人類に貢献したのではないかと思っている。
こういった話はハッタリをかました方がよく伝わることは知っているがハッタリではない。
大げさな文句は使えないが「文脈」を感じて欲しい。ハッタリは目立つが「文脈」は地味なのだ。