⭐️心の学び:言葉を駆使する
私たちは言葉について無意識に使っているが故に言葉の重要性について深く考えることはない。
外国語を学ぶ際に文法の違いや重要性に気づくがその機会もほとんどない。
人間の特徴は「言葉」を使うことだ。
過去からの知恵は言葉で保存され新しい時代で更新されていく。
現代の文明の利器は人間一代で生み出すことは難しく、過去からの知恵や他人の知恵を拝借して生み出される。
それは言葉によって伝達される。
「黙っていても伝わる」「見ていればわかる」そんな言い方をされることもあるが、想像することは出来ても、真に理解することは難しい。
こうやってnoteでの記事を書いている時にも、自分の伝えようとする事柄を言葉に変換しようとする。
相応しい言葉は何なのかを自動的にも能動的にも探っている。
人間の心は言葉に表れるものだ。全てではないかもしれないが日常の出来事なら十分に可能だ。
ぼくは「見ればわかるだろう」といった不遜な態度をとる人の言葉を信用できないでいる。
たとえば、絵画を観て「作品を見ればわかるだろ」と言われても「何が?」となる。
そんな見てわかるくらい簡単なら言葉で説明してほしい。
言葉を使えない人に「何が食べたい?」と尋ねてリンゴの絵を描いてくれるなら「食べたいものはリンゴなのだな」とわかる。
いきなり絵を目の前に出されて「見ればわかるだろ」と言われてわかる人は皆無だ。
山の絵であれば「山の絵ですなぁ」と言えばいいが、作者はそんな答えを期待しているわけではないことは想像できている。
言葉はそういった齟齬を埋めるためにもある。
ちなみに抽象画家は描いた本人も何を描いているかわからないのが半数以上らしい。そんなのを他人が見て「何を描いているのやらさっぱりわからない」と言うのは当然なので、見る機会に出くわしたときには思い出して欲しい。
理解して欲しいことは言葉を尽くさなければならない。そうしても伝わらないことが多々ある。
「見ればわかる」とか「黙っていても伝わる」などと横着せずに、しっかりと言葉を使って親切に伝えるべきだ。
人間関係も同じだ。想像の中での人間像を現実と思わずに言葉を使うことだ。
それが出来ないなら想像での人間像も創らないことだ。