真理と心理傾向
ヒトは心理傾向にさらされている。
自分が正しいと思うことは、正しさではなく、誰にでもある心理傾向でしかないということだ。
権威に従いがちなのは、正しさの探究よりも、誰にでも生じやすい自己保存の欲求からだ。ようするに不安から生まれるのだ。
心理傾向に従っていると、若い時に観える人間と、年齢を重ねてから観える人間は、別の人間のように観えるものだ。
それを乗り越えるのは理性なのだが、それには能動的な意思を要する。
この能動的な意思こそが真理を探究する力であり、心理傾向を乗り越える力でもある。
成功哲学(ノウハウ)を望む心は、真理の探究ではなく心理傾向である。生存への欲求のことだ。
真理は人間個人の好みには関与しない。
それを知ったからといって何かに「成れる」わけでもない。
そこに存在しているものが何なのかを説明できるだけだ。
もう心理傾向に振り回されるのはたくさんだ。自分のも他人のもだ。
真理にだけ立脚して生きるとどうなるだろうか。
それは、自己保存や存続の欲求を満たすことはないだろう。
心理傾向に従って生きるものとは違うものになるだろうか。やってみるしかない。