いじめと嫉妬と悪口と
先日の「倫理観」についての記事に、かなりの反響があった。
「倫理観なんて考えたこともなかった」「オレもバラされたらやばいわ」「アタシも恥ずかしい話あるわ」といった感想が多かった。
「私は品行方正だ」という人もいるが、それはウソだ。機会がないだけだ。
ヒトは他者を平均値に引きずり下そうとする本能があるようだ。いじめや嫉妬、悪口がそれだ。
悪口の反対は良口でも陽口でもなく、悪口だけで存在している。悪口は「悪いことを、ないのにあるかのように言うこと」なのだ。本当のことはほとんど言っていない。
陰で「良いことを、あることないこと言う」とは、けっして言わないからだ。悪いことしか言わない。独立しているのだ。
そういったことと闘うことには勇気がいる。たいてい見て見ぬふりをして自分だけ安全圏にいようとするものだ。
女性は「みんな言ってる」と圧をかけ、男性は「オレのバックには…」と圧をかける。
こう言うと、勘のいい人ならもうお気づきのように、「世間の批判はー」「倫理観ガー」にそれぞれ置き換え、自分の意見には正当性があると主張するものだ。
世間の多数の意見を気にする人は、多数の意見に抗うことは難しい。
倫理観のある人に、倫理観を持ち出すと抗うことは難しい。
それらは自分のことを棚に上げたバイアスを産み、多数の意見に加算されていくのだ。
男女かぎらずモテる人は努力しなくても異性が寄ってくる。
そんな人は、気に入らなければ「ハイ次!」となるものだ。そのおかげで、順番待ちしてる人に機会がやってくるわけだ。そして、さらにモテる。
そう言うと必ず、嫉妬心を隠蔽して、「人間性ガー」と言って、人間性を問ういじめっ子が出てくる。
モテる人の特徴の話を、ぼくはしているのだ。
論理的に考える習慣がないと、そういった論点のズレた話に引きずられるものだ。
いじめは、「引きずり下ろすか、排斥するか、妬む」かの反応によるものだ。
ストレスへの対応である「闘うか、逃げるか、死んだふり」の変形だ。
有名人への批判という名を借りたいじめは、これらで説明できる。それらを擁護しようとすると、次は自分がいじめられる。勇気がいるものだ。
そのことをわかったうえでこの記事を書いている。
もし、いじめられたら助けて欲しい。期待はしてないけれど。
そういったことに陥らないために、理性(思考)を使い、自尊心を育むことが大切だと思うのだ。
(坂本勇人選手、勝手に話題を題材に使わせていただきました。申し訳ありません。活躍をお祈りしています。)