システマ 「感じる」について
今週のトレーニングは、ダニールが日本各地でやっていた「感じる」ことについてのシェアワークのような内容でした。この1年で、色々なセミナーやトレーニングに参加して思うのは、感じることは全てのベースにあると共に、頭で理解できないとっても奥が深いものだということです。
また、日常生活でも最近「これが、感じるということか?」と思える出来事がしばしばあったので、それも最後に振り返ってみます。
やったこと(屋内トレーニング)
全部ペアワークです。
・片方が仰向け、うつ伏せで寝る。もう片方は、その上でプッシュアップ。お互い相手の体のどこにテンションがあるかなどを感じる。相手の体ありきでプッシュアップ。自分のやりたいプッシュアップを相手にぶつけない
→お腹に拳を当てたプッシュアップの時に相手が過剰に苦しがっていないかなど、相手の体を観察する。頭ではなく体が情報を取り込んでくる。
・片方が床に寝てシットアップをする。もう片方は、リラックスのフィーリングで相手の片手を引っ張って、軽い感じでシットアップを手伝ってあげる
→お互いにテンションがあると、立っている側は、腕を通して重い荷物を引っ張り上げるような感覚になる。起き上がる側も、腹筋がプルプルしてくる。うまくいくと、起き上がる側は寝ている状態の時にふわっとした感覚になるので、そのままテンションを使わずに引っ張ってあげる
・片方は四大運動をし続ける。片方はその間を歩く。歩いている人が自分に向かってきてもテンションではなく、リラックスのフィーリングで相手全体を感じ続ける。四大運動をやることに夢中にならず、自分の周囲の空間を感じる。
→慣れてきたら、歩いてきた相手にタッチするなどする。その時、自分の手足に充実感があるかどうかチェック
・背中合わせで立つ。背中を通して全体を感じながら、片方の側へ歩いていく。逆もやる。相手の背中にもたれたり、速く歩きすぎたりしない。
・片方が腕を掴みにいく。もう片方は、からだで感じて自然に動く。情報を取りにいこうとすると相手に向かう形になり、テンションが入ると逃げる形になってしまう。戦うでも逃げるでもなく、思考を通さずにただ自分の動きをする。
→体を足まで通してもらった後は自然と体が動く。リラックスしているから相手も自然と動く。動かしている実感はない。足や後ろが消えがちになると感じた。
などなど。
感じるは、もう本当に感じるしかないので、言葉にしてもよくわからないですね(笑)。
日常生活とのつながりですが、目の前にいる相手の情報がよく入ってくる機会が増えました。
例えば、2人で向かい合って食事をしていて、相手が食べることに夢中になって内側にこもる瞬間や、食べ終わって外を歩いている時に会話しながら感情が忙しく移り変わる瞬間など、リアルタイムな時間の流れと相手の感情や在り方がそのまま情報としてフラットに入ってくるイメージです。
相手を観察してやろうとか、システマの練習として情報をとってやろうとかは思ってません(笑)。ただ自分がボーッとその場にいて、見えるモノや認識する範囲が増えた感じです。
仕事でも、以前より視野が広くなったと、ふとした時に感じます。
例えば、人に何かを伝えるときにどんな言葉を選ぶか。過去の経験をもとに言葉や伝え方の選択肢をかなり狭めていたなと思いました。俯瞰してフラットに考えた時に、「あ、こういう伝え方もできるな」とか「この言葉に言い換えるとどうだろう」とか、発想の自由度が増しました。
今回トレーニングでやったペアでのプッシュアップのように、自分のやりたいこと(言いたいこと)をぶつけず、相手のことを感じて、正しく相手を知り、行動する。これができると、日常生活でも衝突が減ってスムーズになると思います。
テンションを見るか、リラックスを見るか。
これまで、日常の中で10回のうち0回か1回くらいリラックスの状態で動けていたとしたら、今はそれが2回とか3回に増えました。
些細な変化ですが、生活の質の変化としてはとても大きいです。
テンション起点で考えたり、動いたりするクセができていますが、ダニールセミナー以降、歩くを色々試してみて、どういう状況や感覚だとより疲れない歩き方になるのか、どうやると疲れやすいのか、が少し分かったような気がします。
感じるって誰もがやっていることですが、自分の感じたいものだけ感じている場合がほとんどだと思います。
感じるが何なのか、結論出ず!そんなことを考えました。