インクルージョン | 僕ら一般社員にしかできないこと(ごめんよ。偉い人!)
D&IからDEI、あるいはDEIBと、カンバンは変わっていくけれど、経営や採用に携わらない僕ら一般社員にできることは、昔からずっと変わっていない。同じだ。
「多様な人たちがいる会社をつくる」——採用不採用を決めるの権限がない。
「不公平のない評価を浸透させる」——評価される側であってする側じゃない。
僕ら一般社員にできることは、カンバンが大きくなろうと煌びやかになろうと変わらない。
…別に不平不満を書きたいわけでも、イジケて遠吠えをしたくなっているわけでもない。それはできないってことをまずはっきりさせておきたいだけだ。
ビミョーに、社内の空気感に影響を与えることはできるかもしれない。いや、それくらいはできていると思いたい。
ただ、実際に採用も評価もしているのは別の誰かであり、事実として、所属組織の表層的な多様性を増やすことも、女性役員を増やすことも、男性育休取得社員を増やすことも、僕ら一般社員にはできない。できるのはごく一部の人だけだ。
その上で、できることを伝えたい。僕ら一般社員にしかできないことを。
それはインクルージョンだ。インクルーシブであることを誇り祝い楽しむことだ。
インクルージョンは、自分や自分たちと異なる特性を持つ人を受け入れることだ。誰も排除されることなく、そこにいることが当たり前として扱われることだ。
これを実践できるのは、社長でも役員でも株主でもない。日々を共にする僕らだ。実際にコラボレーションし、日常的に会話し、同じことに取り組む僕ら一般社員だ。
拒否感や場違い、あるいは差別や排除を見つけたら拒否し、対峙し、インクルージョンを日常にし、みんなが実際にインクルーシブを感じられる環境を作れるのは僕らだ。カンバンを作ったり飾りつけたり、声高に発表する人たちじゃない。
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役員や社長や上層部だってできる? う〜ん。そうかもね。
…OK、認めよう。僕らは不公平だ。上層部に対するインクルーシブさが足りていない。マジョリティーである僕ら一般社員の多くは、一線を引き、あなたたちを差別してしまっている。
これでいいとは思っていない。でも、あなたたちを心からインクルージョンするには、せめてもう少し格差の小さい社会が必要だ。