![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/48433437/rectangle_large_type_2_1a9a73a9fe190fb48bcacf83a7de1b30.png?width=1200)
コロナも私の日常3-67
67日目 3月23日(火)
気がつけば3月も下旬に突入していて、私の学生生活も終わりを告げている。そんな3月のおわり。桜がちらほら咲いてきている。
思い返せば中学生の時に「ちらほら」が口癖の理科の新人の先生がいた。やたらと馬面だったので、今思えば失礼極まりないがあだ名は「ウマヅラー」。テストは簡単だが採点が死ぬほど細かくて厳しいので有名だった。あの先生は、今頃どうしているだろうか。当時23歳くらいだったから今はもう33くらいか。自分がもう、当時の彼女と同じくらいの年齢になってしまったことに愕然とする。老いるのって早すぎて人生は秒。二度と会うことはないだろうけど、たまにふと思い出してしまう人っているよね。そういう感じで。
3泊ほどした彼女のお家を出る朝。バイトへと向かう彼女に手を振り別れる。この間のボーリングではストライクが出せなかったので悔しい。次は絶対負けない。大雨で服がびしょ濡れになったのもいい思い出だね。こんな平和な日々も、終わりを迎えるかと思うと涙が出てきちゃうな。それでも、こういう道を選んだ自分を褒め称えて生きていきたい。どんな道を選んでもとりあえず褒めていきたい。そんな人生。
結局、自分のことしか考えていないのかもしれないけれど、それでもまあいいか。自分がハッピーになれば、周りもハッピーになれるような気がするから。アンハッピーな自己中は良くないけどね。
四ツ谷で久々に会う友人たちと久々に学校へと足を運んでみるなどする。コロナ禍の大学は謎に警備が厳重で入るのでさえ面倒くさかった。行く前に入構予約するのもだるいし、入る時に入構予約をした画面と学生証をスキャンしなければ行けないこともだるい。検温もだるい。果たして意味があるのかとても疑問。とりあえずやっている感が否めない。「考えること」をやめてしまったシステムに従う私たちも、「考えること」をやめてしまった人間であるということを思い出す。今年からは普通に授業があるのかなあ。まさか学生最後にこんなイベントが待ち構えていて、大学に入れなくなるとは思いもしなかった。人生色々あるんだね。
卒業証明書などを発行して、写真を撮って、サルバトーレでパスタを食べる。ジンジャーハイを飲む。サラダがボリューミー。友人のアラビアータはペンネで頼んだのに普通の麺で届いて作り直し。私が食べ終わった頃に来た。遅いね。お酒たちは会計に含まれていなかった。サービスだろうか。ありがとうサルバトーレ。ポールというカフェでコーヒーを飲んでおしゃべりする。3日後には卒業式で、袴の話で盛り上がる。女はメイクやらヘアセットやらやることが多すぎて大変すぎ。男もみんなもぜひ着てください、袴。
そういえば先日、「あのこは貴族」という映画を新宿で観た。私の大学や周りにもこういうリッチで東京の都心部の上流階級でしか暮らしたことがなさそうな人がたくさんいるなあと思いながら見ていた。あまりにもリアルで、あまりにも悲しい現実だったけれど、全く違う世界の人が交わる瞬間って素敵かもしれない、なんて思ったり。たしかに同じような価値観や考えや行動の人と関わるのは心地良いけれど、その枠を超えて関わってみた人は、案外面白かったりするよね。自分と全然違う人と話すのは意外と楽しい。自分にはない考えを与えてもらったり、視野を広げてもらったりすることがよくある。自分の考えがねじ曲げられたりする。私はそういう瞬間がわりと好きだ。合わないなと思っても、そういう考えの人もいる、と知るきっかけにはなる。そういうのも大切だよね。こういうことを、小学校とかで教えてもらいたかったなぁなんて。算数や国語や歴史や理科や図工より大事なことが、世の中にはたくさんある。本当に大切なことは、誰も教えてくれないんだね。
ああ。今日は、空がすごく青かった。
おやすみ。