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「銀河鉄道の父」を読み、夜空に思いを馳せる

「銀河鉄道の父 (門井慶喜 著)」読了
ただの雑文ですが、少し内容に触れています、ご了承を

この種の実在の人物を描いた作品は、どこまでが事実で、どこまでが創作かが気になり、途中で資料などを調べてしまっていたが、
歳をとるにつれ、どんな内容でも書き手の思いをが入り、それが伝わってくればそれでいい、自分が知らない解釈を教授されているのだ、と思うようになり、資料等を調べることは辞め、読書が随分楽になった


そして、この作品は見事に刺さった



宮沢賢治は不思議な存在感を持つ作家である

雨ニモマケズ、
その一節は、意味は知らずとも、誰もが知っている

そしてヒトのために自己を犠牲にし、若くして亡くなった童話作家、詩人として、いわば神格化されたイメージが定着している気がする


この作品は、父の目線のから賢治を追う、
俗人として評価せざる得ない息子を期待と不安を抱きながら

「自分らしく生きる」
それは親の視線からすると、
最も望むことではあるが、最も期待を裏切ることかもしれない

賢治が長い遠回りをして、ようやく創作活動にたどり着いた時、親の目線も変わる
諦めでもあるが、新たな希望である


ただ見守っていることが、唯一親が出来ることであり、親の責務なのであろう

そして、誰よりも信じている立場であり続けたいのだ

なとど、
相当出来の悪かったワタシを見守ってくれた親 (既に随分前に鬼籍に入ったが) の想いや、
ワタシ自身の出来の悪い子供たちの行く末を想い、あれこれ考える


この作品、映画化されている
配役をみると、賢治、政次郎、そしてトシ、見事に自身の持つイメージとそぐわない、
キレイにつつがなく、そしてお涙、となる昭和の文部省推薦松竹的な仕上がりになっていないことを願う

取り敢えず、映画を観よう


個人的に宮沢賢治のこと

高校生の頃「春と修羅」をイキがって読むも全く理解できなかったが、一編だけ30年以上も経つが、未だにソラで言える作品がある(『春と修羅 第3集』33 「1019 札幌市」)

1985年にアニメ映画化された『銀河鉄道の夜』
ますむらひろしの描く「猫」が、自身の持つイメージに合わず、どうしても受け入れられなかったこと

生粋の関西人であるがゆえ、賢治が描く東北の幻想風景(岩手/イーハトーブ)が理解出来なったが、50歳を超え仕事の都合で東北に数年住み、今まで出会ったことなかった景色とヒトに驚愕したこと

など、書きたいことが多々ある
私の中で気がつけば何処かで不思議とかかわってくる存在である

たぶんこの人物については、個人的に思いを持っているヒトは多いんだろうな

なとど、街の灯りで星など見えない夜空を見上げながら、ひとり思う



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