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過去は屍、超えてゆけ

自分を甘やかすことと自分を大事にすることの境界線がわからない。
「気持ち悪い」と感じてしまう。

この思考を形成したのは、残念ながら生まれ落ちた環境に起因する。完璧主義で鬱になった元父親、他人を批判し、見下すことで悦に入る腐った親戚。ご挨拶がわりの罵倒。
「お前は変だ!」「お前はバカだ!」

今なら、「成績表も見せてへんのに、なんでたまにしか会わんアンタに”変とか”バカ”とか言われなアカンの?その発想こそ浅はかやろ」と反論できるのに、当時は弱く、素直で、従順なこども。

「ああ、そうなんだ…」と間に受けた。

心の中に澱を溜め続けた。徹底的に言葉の毒を浴び続けた幼少期〜思春期。
アイデンティティを確立する大事な時期に
こんな環境にいたら、このような思考が完成してもおかしくはないか。

ねじ曲がって、異様に自己肯定感が低い。繊細な蚕が、繭の中でひねくれて出てきた。それがわたしだ。

害悪は他にもあることに気づいた。

例えば、

・自分以外の人の愛し方もわからない。

・「普通の家庭」を憎む。

・「家庭料理」を憎む。

憎むのは、子どものころ、享受できなかった嫉妬の裏返し。

「お前は一生結婚できないし、子どもを持つなんて無理だ」

小学校高学年の頃、元父親に真正面から割と真面目なトーンで言われた。
どんな会話の流れだったのか、なぜそう言われたのかまでは思い出せない。まあまあ衝撃的だった。胃に泥を流し込まれたような気持ち悪さ。
当時は「自分だってまだ子どもなんだから、そんな先のことしたいかどうかもわからない」と思っていた。
そこから今も変わらず、子どもが好きじゃない。

他人の子どもを見ても、動物を見る感覚の延長線上…

”ちっちゃい生物。弱そう。”以上。

たぶん、産むことを拒否してる

中学で初潮がきたが、それからすぐに生理が来なくなった。

いくつかの病院で検査した。脳の視床下部からシグナルが出ていないらしい。とりあえず、ホルモン補填剤で人工的に周期を作り、生理を起こす。バカバカしいなと思った。ホルモン剤をお金で買うことも、人工的に生理を起こすことも。なんで自分は、あるはずのものがないんだろう?

ホルモン剤は飲むと気持ち悪くなる。浮腫む。

1人で産婦人科に通院するのも、嫌だった。産婦人科の雰囲気自体が嫌だった。待合室のラックに立て掛けられている出産・子育て・ママになるための雑誌。さも幸せそうな顔で幼児を抱く女性モデル、乳児のドアップ。

中にはもうすぐ祖母になるであろう女性、もうすぐ父親になるであろう男性も来ていた。

一番嫌だったのは、それとなく周りの受診者が互いを意識し、頭から爪先まで舐め回すように見ることだった。

「勝手に観察するんじゃねえよ」

「ド暇か」

「妊娠なんかしてねえし、そもそもできねえよ」

心の中で毒づきながら待つ時間。おそらく、わたしが一番イライラしていた。

小学校卒業式のときみたいに。

ー「わたしはお前らとは違う」ー

ー「なぜわたしは普通とは違う?」ー

ー「なぜわたしの家は普通とは違う?」ー

ー「なぜ母は料理を作らない?」ー

幸せそうな人間が嫌いで、愛情が詰まった弁当を持ってくる同級生も嫌いで、土日に公園やショッピングセンターに出かける家族が嫌いで、甘やかされてる奴が嫌いで、授業参観に親が来る子供が嫌いで、

そんな目で他人を見ていたら、周りの人間ほとんどが嫌いだ、と思っていた。所詮、お前らは愛情を注がれて生温い温室でぬくぬく育ってきたんだろ。親に大学まで行かせてもらって、いい御身分だな。

それ以上に、そんな光景を嫌いという言葉で誤魔化してただ妬む、空虚で冷め切った、飢えた自分が嫌いだった。

転勤族でしょっちゅう引っ越しに付き合わされていた(小6の頃なんて、1学期・2学期・3学期と全て違う学校だった。3学期目の学校なんて数ヶ月しか通ってない。
自分が一枚も写っていないスライドショーが卒業式で流れて、みんな思い出を語る中1人だけ輪に入れなかった。

周りのクラスメイトは卒業式の歌を歌いながら泣いていたが、
わたしは無理やり覚えさせられて愛着もない、歌いたくもない歌を

”それらしく”一生徒として歌わされた。

いろんな学校の校歌を覚えてきたけど
卒業式を迎えた学校の校歌は好きじゃなかったし、

卒業ソングも好きじゃなかった。

とにかく全てが嫌だった。
だから、歴代の転校してきた学校の中で「自分的ベスト校歌」をアレンジし、復讐remixで歌ってやった。

わたしは同じ人を好きでいつづけることができない。

だから、そんな過去作り出してしまった思考・自我を一度ブチ壊したくて
もう何年ももがいている。あれだけじゃないんだ、思考は、人種は、世界は。

そんな奴らと引き離してくれた母には感謝している。
狂った親戚達に気づかれたら止められるから、逃げるように遠い県へ引っ越した。まだ幼かった弟と、抜け殻になったわたしを連れて、養育費なんてない極貧生活の始まりではあったが、それでもあの淀んだ閉塞感の中で完全に心が死ぬのを待つよりは良かった。

自分を大事にすること。

まだうまくできない。

むず痒くはあるけれど、これこそ自分にしかできないことだろう。
当事者にしかできないこと。過去は変えられないのだから、

今、この手の届く範囲でできることからはじめよう。

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