暗渠を歩いてみる〜東京・江東区〜
「おっ。ここ、もしかして暗渠?」
友達とお茶したら、道中一度は言ってみたい。
憧れのセリフ。
タモリ倶楽部のタモリさんみたいに物知りになれそうですよね。
今日は、『暗渠探しの散歩』〜東京・江東区編〜です。
18世紀には、北京とロンドンを抜いて人口100万人、世界最大の都市になった江戸。
地方からたくさんの人やものが集まったんだそう。
でも、木と紙で建てた家はよく火事に見舞われ、密集した住宅街では大問題でした。
そのため、常にたくさんの材木を安全に保存する場所として木場(きば)が設けられました。
川に材木を浮かべて管理しておくのです。
水の中なら火の心配は無いし、川を伝って材木を運ぶこともできるという一石二鳥の名案!
東京・江東区はその木場エリア。
戦前まではたくさんの水路が張り巡らされていたそうです。
現在、そのほとんどは公園や駐輪場として覆われてしまいましたが、名残はまだまだだあるそうです。
水の痕跡、暗渠を散歩してみました。
まず、ひとつ目。
地下鉄門前仲町駅に程近い暗渠です。
現在は遊歩道になっていました。
日本で最古の鉄橋といわれ重要文化財にも指定されている八幡橋が掛かっています。
この遊歩道のもうひとつの見どころは、新田橋。
大正時代、地元の新田さんというお医者さんと地元の方が協力して掛けた橋だったそうです。
白いペンキの名前に、この橋を残そうとした方の人間味を感じます。
次は、和倉橋。
江戸時代、このあたりは幕府の食事係の人たちの家とお椀をしまう倉があったそうです。
椀倉(わんくら)が訛って、和倉(わくら)になったのが名前の由来。
現在も、橋跡の隣にレストランがあるせいか、何となく食事する人たちの気配がします。
江戸時代のお椀を抱えた女将さんの「たんと召し上がれ!」という声、聞こえてくるようです。
お次は、冨岡橋。
スーパー赤札堂を背景に3つも立派な石が並んでいます。
3つ?なんで3つなんでしょ?!
実は、国道463号を挟んで向かいに、最後の石もちゃんとありました。
ねっ!
記念に咲き始めた紫陽花と一緒にパチリ。
橋の名前のプレートは、ここしかついてないので見つけられてホッとしました。
最後に、かなめ橋。
多分、この大きな石が橋の始まりだったんじゃないかなぁ。
大きな窪みは凸凹してるし、名前プレートは剥がされた跡かな?
でも、琵琶の木とトベラ、さつきに囲まれてちょっと幸せそうです。
橋の上から見ると元・川っぽい水の気配を感じます。
今は、遊歩道みたいです。
今日は、歴史散歩、暗渠を探して歩いてみました。
暗渠を探す!と目的を持って歩いてみるとたくさんあるもんですね。
江戸時代の人って、大昔の知らない人っていうイメージでしたが、現代との地続きにいる、わたしたちと同じような日常生活者だったんだな〜と感じました。
木場エリアには、わかりやすい暗渠が多いそうです。
と、いうのも大正時代の大震災からの復興で、しっかりした橋がいくつも架けられたからなんだそう。
川から暗渠になった水路もたくさんありますが、橋の痕跡は全てではないですが大事に保存されていて見つけやすいみたいです。
機会があったら、ぜひ散歩してみてください。
では、またね。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。
よい一日を。
ごきげんよう。
【参考資料】東京都立図書館『大江戸の誕生』