【小説】魔女の告解室vol.4
前回までのあらすじ
愛する男の妻を罠にはめて処刑させた最年少の魔女エレナ。魔法を行使することなく実行した完全犯罪だったが、最年長の魔女である長老はエレナを自分の館に呼び出す。
自分の行動に何の落ち目も感じないエレナは呼び掛けに応じて長老を訪ねる。
扉を開くと、目の前には見たこともない程美しい貴婦人が座っていた。
第四章 千年の孤独 ①
「あらあら、そんなに目を丸くしてどうしたのエレナ。まずは座りなさいな」
緩やかにウェーブを描く金色の髪は、後ろの窓から漏れる陽を浴びて輝いていた。編み上げてまとめているのに、椅子に座った腰まで届くほどのロングヘアだ。
エレナは注意深く応えた。
「長老様からお手紙を拝借し、お招きに応じました。エレナ・セントフィーリアです。失礼ですが、長老様はいらっしゃらないのですか?」
瞳の色は、物語に聞いた海の色だった。透き通った水色が光沢を帯びており、大切に保管されてきた人形を思い浮かべる。
「あなたの目の前にいるのが長老様です」
後ろの世話人が耳打ちすると、長老は柔らかな微笑を浮かべて、軽く目を伏せた。あまりの驚きに声も出なかった。
「驚かせてごめんなさい。これが私の正装なのよ。誰かと昼食を摂るのも久しぶりのことなのでついはしゃいでしまいました。どうかしら?何歳に見える?」
「長老様…。そうとは知らずに失礼な真似を。どうかお許しください。私と同じか或いはそれ以上にお若く見えます。20歳…でしょうか?」
「あなたは本当にお世辞が上手いのね。この姿は35歳のときの私よ?今じゃあ伸び放題の白髪に、よぼよぼでシワだらけよ老婆ですけれど」
長老が目配せすると、世話人は扉を開け、湯気をたたえたクリームシチューとパンの乗った、木のトレイを運び入れた。エレナが普段から親しんでいるテーブルクロスもなければ、銀のフォークやスプーンもない。
「驚いたでしょう?私はね、必要な物を必要なだけしか食べないのよ。凝った装飾も必要なければ、貴重な食べ物も必要ないわ」
そう言うと、スプーンでエレナの分のシチューをひと匙すくって口に入れる。
「安心しなさい。無理にあなたの罪を吐かせようなんて思っていないわ」
全てはお見通しというわけなのだろう。エレナも腹を括って昼食をとり始めた。美味しかった。鳥も豚も入っていない質素なシチューだったが、宝石のように光る野菜たちがほのかに甘い。パンも歯にかけるとカリリと小気味良い音をたてる。生地はフワフワしていた。
「美味しい…」
思わず口から漏れてしまう。
「美味しいでしょう?今朝畑から取ってきた野菜に、あなたがここへついてから焼き上げたパン。どれも新鮮で生まれたてのものね」
「どのような魔法をお使いになられたのでしょうか?私にはこれほどまでに素材を殺さず調理する魔法を使うことはできません」
木のコップが運ばれてくると、透明な水が注がれた。びっくりするくらい冷たくて、美味しい水だった。
「魔法は使いません。人間の世界には四季があり旬という言葉がある。すべての生きものに当てはまる言葉です。いくら小細工を弄したところで、結局そのモノ自身がもつ魅力は引き出せないのです」
ーばれている。もう魔法を使う必要もないんだわ。
食事は粛々と進んで行き、食べ終えてしまうと再び世話人が食事を下げにきた。かわりに紅茶が卓上に添えられる。摘みたてのラベンダーの香り…
「エレナ。あなたの小さい頃は、ここで毎日絵本を読んであげたわね」
「ええ。夕方になって母が迎えにくるのが、本当に残念だったことをよく覚えています」
静かに瞳を閉じている長老は、まるで絵本のひと場面のように恐ろしく静的な魅力を放っている。
「大変だったのよ。あなたが駄々を捏ねて、そのたびに指切りげんまんをさせられたもの」
「明日も読んでくれって」
二人は今や幼馴染みのように顔を見合わせて笑った。
「こっちへおいで」
長老はエレナの手を引くと、2人がやっと座れそうソファーへ腰をおろした。
「あの…私はもう子供ではありません」
エレナは右肩を長老に抱かれ、髪を撫で慣れていた。
「いいじゃないの。今は二人きりよ?」
優しく波打つようなリズムで髪を撫でられているうちに、エレナの頬を涙が伝う。それは次第に長老のスカートを濡らすまでにとめどなく流れて出た。もうエレナは長老の膝に顔を押し当てていた。
「ごめんなさい。私どうしても耐えられなかった。フーケは、彼はあんなにも家族思いで素敵な人なのに…」
どれほどそうしていたか分からないが、長老はエレナの嗚咽が止まるまで黙ったまま彼女の髪を撫で続けた。
「あなたに読んであげた絵本。石になった魔女のお話しを覚えているかしら?」
エレナは泣き疲れて、夢うつつのように長老の声を聞いた。
ー覚えている。何度聴いても石の在り方を教えてくれなかったあの絵本のことだ。いまになってそれを教えてくれるとでも言うのだろうか。
「本当はね、石なんてないのよ」
「じゃあ魔女はなぜ死んでしまったの?」
「彼女はね、魔女じゃなかったの」
長老の視線は、小さな部屋にあって、遙か昔を眺めているような遠いところを見つめていた。エレナは長老の吸い込まれるような瞳に次の言葉を待っていた。
「村に疫病が蔓延すると、彼女も夫と同じようにすぐに病に侵されの。毎日を食べていくのがやっとだった彼女たち夫婦は病気も天の定めだと、自らの運命に従っていたわ。ただひとつだけ、幼い子どもを残して死んでいくのが2人は心残りだった。2人はやつれて死んでいく最後の瞬間まで子どもを世話してくれる人を探した。けど誰も病気にかかってる親の子供を引き取ろうとしなかった。ついに2人とも動けなくなったとき奇跡が起きた。一人の魔女が2人の元を訪れたの。そして魔女は言った。あなたたちの子どもはもう病気にかかっている。あなたたたちが死ねば、この子もすぐにその後を追うでしょう。2人は藁にもすがる思いで懇願した。どんなことでもします。この子を助けてください。すると魔女は2人の人間を薬に変えてしまった。その薬を飲まされた子どもは病気から回復した。」
エレナは起き上がって、長老に尋ねた。
「なぜ作者は嘘をついたの?魔女が夫を救おうとしたり、石が誰かに盗まれたりとか」
少しの間のあと、決心したように長老が話し出す。
「その子が魔女になったからよ」
エレナは言葉も出なかった。人間が魔女になるなど聴いたことがなかったからだ。いくら魔法が使えようと、それだけは叶わないことだったし、人間を魔女にしたがる魔女も存在しない。そう思っていた。
「その子は最初、人間として育ったわ。けれどね、転んで怪我した傷がすぐに治ったり、その子に危険が迫ると無意識に魔法が彼女を守ったの。それで彼女は村人から疎まれ殺されそうになった。そのときになって初めて彼女を救った魔女が彼女を連れて村の外へ消えて行ったのね」
昔話というよりも、思い出を語るように、懐かしそうな顔で話す長老の顔にエレナは一つの確信を得ていた。
「あなただったんですね。救われた子どもというのは」
再び微笑を浮かべ、長老はエレナの方を向いた。
「この話はね。人を魔女に変えてしまったという罪を覆い隠すための物語なの。今でこそ魔女と人は一緒に暮らしている。だけど魔女は自分が魔女だと隠さなきゃならない。実はね、もともと魔女は人を殺したりなんかしなかった。それが、人と魔女が深く関わるようになってから、魔女は人を殺すようになったの」
長老の瞳は冷ややかな光を帯びた。
「長老様。あなたなんですね?救われた人間の子は」
「いいえ、私の娘です。彼女を育てのは私です。そして、彼女を殺したのも私です」
(続く)
2020年6月23日 『魔女の告解室』 taiti
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