見出し画像

魔の2歳児。

 いきなり始まった父子家庭生活。当時私は27,8歳くらいだったでしょうか。育児書についてはマンガやエッセイぐらいしか読んだことが無いノーガード、ノー知識の状態。理解を越えて、途方に暮れる事さえできませんでした。

 息子は2歳真っ盛り。世間でいう魔の2歳児ですな。そんなノーガード親父に対して、息子は容赦しませんでした。

何でも壊す

 もう何でもいっちゃいます。携帯の充電コード切断から始まり、金魚の水槽に自分のお気に入りのタオルケットを突っ込んだり、DVDを割ったり、挙句の果てには台所に行って小麦粉をわざわざ出して居間(和室!)にぶちまけたり…。当時は掃除機をかけない日は無かったんじゃないかなぁと思うくらい。畳も何枚ずらしたか分かりません(汚れた個所の向きを変える事)。
それぐらい、毎日が事故処理の連続でした。

行動理由

 でもそれもきっと彼なりに理由があったはずで。父親とふたりだけだと寂しかったりつまらなかったり、逆に面白かったり。でも当時私は「何やってんだ!?」としか思えなかったんです。これはもう完全に視野狭窄。自分の家だけの世界しか見えてなかった。だから息子の行動が正しい成長の証なのか確証すら持てなかったんです。。ほんと、つくづく駄目親父。

考察と罪悪感

一応、息子の立場になって考えてみると、

・充電コードを切る→いつも親父が携帯を触っているから興味が出てきた
・水槽にタオルケットを突っ込む→自分が好きな物を金魚たちにおすそ分け
・DVDを割る→キラキラして奇麗で軽いな~
・小麦粉をまく→殺風景な部屋を綺麗にしたい&とにかく粉遊びが楽しい

みたいな。でも今思えば2歳の赤ん坊ですから。好奇心むき出しの健脚悪魔。こっちが怒ろうが喜ぼうがそのリアクション自体が面白かったのかも知れません。そう考えると息子の行動は全て理解はできなくとも、許容することは出来る。逆に自分の反省点が見つかるかもしれないし、もし運良く見つけられたら、直せるところだけ直せば良いだけなんですよね。いきなり止める事なんて2歳児に求めても仕方なし。カーっとなったら一歩引いて、客観的に自分の家を見ることが大事だったんですよね。そうすればどこの家も似たようなもんだと気付けたはずですし、客観的に見れないときには深呼吸をして甘いものでも子供と一緒に飲む。それで結構落ち着きます。ラムネみたいなブドウ糖で頭の回転を速めるのも良い方法。何がベターか思いつくかも知れません。

あー、今ならもっと余裕をもって全ての出来事を味わえた(楽しめる事だけじゃなく)のになぁ。こんこんと説明することも、一緒に遊ぶことも出来たのになぁ。当時の私にはそこまでの余裕が無かったんです。勿体なかったし、息子にも悪いことしたなぁ。ホント、つくづくつくづく駄目親父…。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?