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「自分で決めたらいいよ」の嘘

こんにちは。毒親からの自立を目指すりりかです。
突然ですが、自分の意思決定に自信持てていますか?

進路、就職、結婚など、人生には何かを決めないといけないことがたくさんあります。大きな分岐点以外にも、どんな友達と付き合うか、転職するのか今の会社に留まるのか、どんな相手とお付き合いするかなど。仮に「流れ」で決めたとしても、進んだ後にこれでよかったのか、振り返るような全ての意思決定について、自分の選択に自信を持てるかどうかって結構大切だと思っています。

もちろん、全て「順風満帆」な方を選ぶことは不可能だと思っています。でも、壁にぶつかった時にも、「今は辛いけど、自分で決めたことだから頑張ってみよう」「当時は最善の意思決定だったけど、今は状況が変わったから違う方向に進もう」のような形で選んだことそれ自体を後悔しないでいられることって、私たちにとってとても大切なことなのではないでしょうか。そうでないと、辛いことや予想外のことがあるたび挫けてしまい、未来に向かって前向きに踏ん張る力が発揮できなくなってしまうからです。

私自身、転職してすぐの頃は仕事も生活も一変し、タフな仕事だったことから心身ともに負担が大きかったのですが、転職をした自分をなぜか責めてしまい、仕事でうまくいかない実情以上に、自分で自分にストレスを与えてしまっていた過去があります。

自分の選択に自信を持てなくなってしまったのは色々な理由があると思うのですが、大きな理由の一つが「いつも母親が答えを握っていたこと」だと感じています。具体的には高校や大学などの進路選びのような人生の岐路だけでなく、小学生の時からどんな友人と付き合うのか、どんな人を好きになるかまで、意見をされていました。「あの子はこういう子だからやめた方がいい」などと言われるのはもちろん、子どもであれば些細なトラブルも日常茶飯事ですが何かあれば「やっぱりお母さんの思った通りだった」「お母さんが言ってた通り、あの子は△△な子だったね」と事あるごとに言われていました。

とは言っても、上記のような選択に際して、最初から母親の意見に従うように言われていたわけではありません。「あなたの好きにしたらいいよ」「お母さんは何も言わないから自分で選びなさい」と言われていました。

では、なぜ自分の意思決定に自信を持てなくなってしまったのか。それは自分で選んだ後、何かあった時(良いことも悪いことも)上記のように「お母さんの言った通りだった」と言われ続けることで、母親が全知全能、千里眼を持っているかのように錯覚してしまい、母親がどちらの選択をいいと思っているか無意識に伺うようになってしまっていたのです。

「いくら子どもであっても、自分の選択くらい自分で責任持ちなよ」と思う方もいらっしゃるかも知れません。私自身、上記のようないびつな構造に自分自身がはまり込んでしまっていることに気づいてからは、そう思えるようになりました。でも、気づくまでが地獄だった。

・責任感を持っていないわけじゃないのに、なぜだか自分の選択に自信が持てない
・何かあると過去の自分を責めてしまう
といった方がいらっしゃるようなら、私の苦い経験が、何かに気づき、モヤモヤが晴れるきっかけになれば嬉しいです。

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