見出し画像

清朝宮廷の厳格なルールと過酷な生活 — 華やかさの裏側

今日は古代の宮廷のルールについてお話ししよう。皇帝が住む家は「家」といっても非常に広大なものだ。

今回は清朝について話す。宮廷ドラマはだいたいこの時代を舞台にしている。あなたは、宮廷ドラマを見たことがあるだろうか?中国の宮廷ドラマを見たことがあれば、あの時代の宮廷生活が見た目には華やかでも、実は上位の人たちにも多くの厳しいルールがあり、生活は非常に大変だったことがわかる。見ていて「こんな時代に生まれなくて良かった」と思うことだろう。


選秀女:皇帝の妻となるための厳しい儀式

(圖/IMDB)

まず最初に、皇帝の奥様について話す。奥様にも位があり、一番上が皇后だ。その下に「〜貴妃」「〜妃」「〜嬪」「〜貴人」などが続く。

今日はそれらを省略して、皇后以外の奥様について考えてみる。

古代では、皇帝の奥様は多数いたが、その選び方には明確なルールがあった。ドラマでは、年頃の女性全員が強制的に宮廷に呼ばれているように見えるかもしれないが、実際には「選秀女」という皇帝の奥様を選ぶ儀式があった。

清の時代の宮女

この儀式に参加するための条件は、まず「満州民族」であることが基本だ。そして13歳から16歳の女性が対象となり、この「選秀女」は3年に一度行われていた。該当年齢であれば、ほとんどの女性が参加しなければならなかったのだ。参加はほぼ強制で、多くの女性がその儀式に出席していたというわけだ。

当時の女性たちは、13歳になると「もう選秀女の時期が来た!」と不安に感じていただろう。儀式で選ばれるのが怖かったはずだ。時には好きな人がいても、その気持ちは全く考慮されなかった。その時期になれば、儀式に参加せざるを得なかったのだ。

選秀女では、立場の上の女性たちが前に並び、最上位には皇帝と皇后が座っている。その前に5、6人の女性が並び、まさに集団面接のような光景だ。皇帝や皇后が彼女たちの中から選ぶ。名前が呼ばれたら合格、呼ばれなければ帰宅という仕組みだ。もちろん、後宮に入りたいと思う女性もいれば、普通の生活を望んで不合格を願う女性もいただろう。

名家の娘は事前に宮廷に情報が入り、残されることが多かった。年によって合格者の数は異なる。

選ばれた女性は、皇帝の奥様になることもあれば、皇帝の親族や大臣に「プレゼント」として嫁がされることもあった。当時の女性たちにとっては、まさにドラマのような大きな出来事だったのだ。

一度宮廷に入ったら、たとえ恋をしていても、その恋は終わりだ。宮廷に入った女性は、そこから一生を後宮で過ごすことになり、ある意味では地獄の始まりだった。

皇帝の妻としての運命:翻牌子と30分の夜

後宮には厳しいルールがあり、上下関係も非常に厳格だった。多くの奥様たちの間で、誰がどうやって皇帝に会うかなどの決まりがあった。皇帝に気に入られることが、地位を上げるために重要だった。

当時の後宮には多数の奥様が住んでおり、それぞれに位があった。皇帝が誰とどのように会うのかも厳格なルールで定められており、毎月1日と15日の夜は必ず皇后と過ごすことが決まっていた。それ以外の時間は他の奥様たちと過ごすことが許されていた。

(圖/翻攝自百度百科)三立新聞網SETN.COM

宦官が持ってくるお盆の上には、奥様たちの名前が書かれた札が並んでいる。皇帝はその中から一人を選び、選ばれた札をひっくり返す。これを「翻牌子」という。選ばれた奥様にはすぐに連絡が入り、彼女はその夜のために身支度を整える。

(圖/翻攝畫面)三立新聞網SETN.COM

夜になると、宦官がその奥様を昔の下着姿のまま布団に包んで皇帝のもとに運んでいく。これは、暗殺などの危険を防ぐため、皇帝は妃たちの住む場所で夜を過ごしてはならないという安全面の配慮だ。妃たちはアクセサリーも含めて何も身に着けてはならず、簡単な下着だけでで運ばれるのだ。

皇帝と過ごす時間は30分と決められていた。長い時間一緒にいると、皇帝が疲れ、翌日の政務に支障が出るためだ。時間が経つと、再び布団にくるまれて奥様は自室に戻される。当時は、夜は寒いことが多く、移動が遠い場合には何時間もかかり、かなり過酷だったと言われている。

こうして、選ばれる女性もいれば、選ばれない女性もいる生活が続いていくのだ。後宮にはこのような厳格なルールが無数に存在していたのだ。

大臣の朝会:3文字のリズムで跪く報告

(圖片: 清代繪畫局部)soundofhope.org

次に大臣について話す。大臣は基本的に毎朝、皇帝とミーティングのような会議を行っていた。現代風に言えば、朝の会議だ。ここで大臣は自分の報告を行い、営業報告のような役割を果たしていた。

この報告には厳しいルールがあり、簡潔に話すことが求められていた。当時は、3文字単位で話すことが義務付けられており、「タンタンタン」というリズムで報告するのが決まりだった。すべて3文字で区切る必要があったため、かなり難しかったようだ。さらに、皇帝が理解しやすいように簡潔にまとめなければならず、内容がわかりにくいと罰せられることもあった。

報告は跪いた状態で行われるため、専用の膝パッドを使用していたそうだ。それでも長時間跪くことは膝に大きな負担をかけ、特に年配の大臣たちには過酷だった。膝を壊す人も多く、膝サポーターは必需品だったようだ(笑)。

宮女の試練:泣くことも許されない日々

(圖/翻攝自微博)三立新聞網SETN.COM

最後に宮女の話をしよう。その時代、後宮には数千人の人々がいたと言われているが、時代によってその数は変動していた。清の時代には約3,000〜4,000人に抑えられたようである。それでもなお、非常に多くの人数がいたことは明白である。

この宮女たちは、絶対に肩身が狭いと感じていただろう。なぜなら、後宮には非常に多くの厳しい規則が存在したからである。後宮では、大声で話すことは絶対に許されず、常に優しい口調で話し、微笑んで対応することが求められていた。罰を受けたとしても、泣くことは絶対に許されない。ドラマなどでは泣き叫ぶ描写があるが、実際には泣くことは禁じられていた。「はい、かしこまりました」と冷静に応じなければならず、泣き叫ぶことは決して許されなかったのである。

歩く際には、姿勢を正し、揺れずに歩かなければならなかった。大股で歩くことは許されず、小股で「シャシャシャシャ」と音を立てて歩くことが求められていた。「この時代の宮女は生きることに疲れる」と言われるほどであった。たしかに、宮廷の外よりも中の生活水準は高かったが、常に命の危険と隣り合わせであり、わずかなミスでさえ罰を受けるという極度のストレスを感じていたに違いない。

生理現象も許されない食事とトイレのルール

(示意圖/翻攝自搜狐網)三立新聞網SETN.COM

食事に関しても多くの決まりがあり、食べ過ぎは厳禁であった。お腹がいっぱいになるとゲップが出る可能性があり、これが非常に問題視されていた。高位の人物の前でゲップをすることは絶対に許されず、万が一皇后の前でゲップしてしまった場合、処刑される可能性すらあった。眠気やゲップといった生理現象も許されず、あくびやくしゃみももちろん禁止であった。実際、皇帝の前でゲップをして死刑になった者も大勢いたという。

そのため、食べるものにも細心の注意が払われ、匂いの強い魚や肉は避けられ、基本的には薄味の野菜や海藻類を中心に摂取していた。また、身体の清潔さも極めて重要であり、頻繁に入浴し、身だしなみに気を配らなければならなかった。宮廷内では、香りや匂いにも非常に厳しい規律があり、周囲に不快感を与えないよう常に気をつける必要があった。

そして、一度後宮に入ったら、もう外に出ることはできなかった。後宮に入るということは、外の世界の人々とは永遠に別れを告げることを意味していた。寝泊まりは集団で行われ、雑魚寝が常であり、プライバシーは一切存在しなかった。『千と千尋の神隠し』のように、全員が布団を敷いて雑魚寝をするのである。さらに、寝方にも厳しい規則があり、仰向けで寝ることは禁じられ、全員が横向きで寝なければならなかった。常に誰かがその様子を見張っていたのである。

なぜなら、その時代の人々は神を信じており、仰向けやうつ伏せで寝ることが神に対して失礼だと考えていたからである。みんなが横向きで寝るというのはその一環である。これだけでも大変だが、これはまだ序の口に過ぎない。

寝返りも禁止されており、いびきも許されない。そのため、ぐっすり眠ることは一生できなかった。昼間は激務をこなし、しかも食べ物も少量しか与えられなかったため、体力を維持するのは非常に困難であったようである。

トイレの事情も深刻で、誰もが悩んでいた。行けるタイミングが限られており、時には全く行けないこともあった。例えば、マッサージ中や何かを待っている間は、絶対にトイレに行くことが許されなかった。「すみません、トイレに行ってきます」と言うことすら許されなかったのである。もしお腹が痛くなった場合、どうするかというと、それは本当の意味で死活問題であった。したがって、決して食べ過ぎたり、お腹を壊すような食べ物を口にすることは避けなければならなかった。また、お腹が鳴ることがあれば大問題であり、汗臭くなるのも避ける必要があったため、水を飲む量にも注意が払われていた。一口で口を潤す程度であり、水を飲みすぎるとトイレに行きたくなるからである。

宮廷内で使用できるトイレは限られており、各自が決まったトイレを使用しなければならなかった。もし担当区域外でトイレに行きたくなっても、他のトイレを使うことは許されなかった。そのため、朝から「今日一日、寝るまでトイレに行けないかもしれない」と覚悟して、食事や水分摂取を控える必要があった。

それでも働き口があり、餓死しないだけ良いと考える人もいるかもしれない。また、宮女の中には可愛がられる者もおり、特別扱いを受けることがあった。仕える相手が良い人物であれば、「これを食べなさい」などと気を使ってくれることもあったかもしれない。皇后に仕えるのは大変であっただろうが、逆に好かれれば無敵であった。しかし、嫌われれば辛い生活を送ることとなったであろう。

また、皇帝やその周辺の高官をサポートする者たちも、非常に厳しい生活を送っていた。当然、トイレにも行けず、夜もほとんど眠れなかった。まさに鉄人のような生活であった。

今日は昔の宮廷での生活について様々な話をしたが、現代と比べると想像もつかないほど厳しい生活であった。今では自由に食べたり、自由に休むことができることが幸せに感じられるであろう。

中国宮廷ドラマで知る宮廷生活

もし興味がある方には、中国の宮廷ドラマをお勧めする。例えば『宮廷の諍い女』は名作である。布団のエピソードなども登場するので、ぜひチェックしてみてほしい。Amazonプライムなどで日本語字幕付きで視聴可能である。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?