教えてしまう習慣を脱却しなくっちゃ
自分の得意な範囲や経験してきた領域で、問題や不明点が見つかると、すぐに教えてしまいませんか。わたしはつい手を出してしまいます。
教えてあげると相手は喜んでくれて、こちらも嬉しくなります。一緒にしている仕事でのことなら、スムーズに運んでお互いラクチンです。この経験でエンドルフィンが脳内麻薬のように出ますから、幸せな習慣になりやすいですね。一時的、短期的、部分的であればよいのですが、幸福感を得ようとして、知っている人はもっと教えたくなり、わからない人はもっと聞きたくなります。繰り返していると、自力で解決する過程で知識が広がり、調べる方法を知り、理解が深まるという成長は減少します。教えることは、さらなる理解を深められるので嬉しいのですが、繰り返し聞かれると、時間を奪われることや依存されることへの不満がたまります。
この反省から、教えないようにするとどうなりますかな。自力で解決できる場合は、お勉強になりますからよかったです。全くわからない場合、調べ方すら思いつかないことや、webで検索するにも正確でない情報を見つけてしまうなど、お先真っ暗になります。それがきっかけで、成長できないだけでなく、二度と接したくない苦手領域になることもありますし、相手との関係性が変わってしまうこともあります。
手取り足取り教えることばかりもダメ、全く教えないこともダメ、その状況や相手の成熟度に応じて接し方やバランスを変えることが必要ですね。リーダーシップ理論で有名なのが状況対応型リーダーシップ論(SL理論)です。ポール・ハーシーとケン・ブランチャードが提唱しました。相手の成熟度に応じて行動を変えるリーダーシップです。成熟度が低いときは指示的行動を増やす、すなわち、相手が自力でできる範囲が小さい場合は手取り足取り教えます。成熟度が高くなってくると、指示的行動を減らす、例えば方針を示して質問されたことに答えるようなイメージです。さらに成熟度が上がると、協調的行動を増やす、まず本人の考え方を聞き、こちらの考え方も加えていくような行動です。自分の後継者になれるほど成熟している場合は、協調的行動も減らす、権限委譲し任せます。
理論としてはわかっても、状況によって行動を変えるのは難しいものです。相手の成熟度、と一言でいっても、領域によって異なります。特に、すっかり成熟しているはずの大人に対してこの状況を判断するのは、本当に難しいことです。企業で働いていたときには、年功序列ではないというものの、経験年数、職位、所属部署である程度の予想をつけることができました。中にいる時にはそれぞれ違っていると思っていても結局は似た人達の集団なので、会社を越えてもその予想が当たることが多かったのですね。社会全体で見てみると、肩書の意味や前提が違っているうえ、経験年数といっても何をどれくらいの年数なのかがわかりませんから、成熟度を判断するためには自分の感覚と脳みそで判断するしかありません。センスの問われるところです。成熟していると判断して任せていると、一向に前に進まず困ります。成熟しているのに指示してしまうと、能力を最大限引き出せないうえ、やる気もなくします。大人は、虚栄という”成熟したふり”、謙遜という”未熟なふり”が得意なので、冷静な判断が必要です。謝った判断をしないために、指示を多くしておくとそれなりの結果が出ます。そこで冒頭の話に戻ります。
手取り足取り教えてあげると、相手も自分もエンドルフィンで幸福感と失敗しない結果が出せてしまう。ここから脱出するにはどうすればいいのでしょうか。
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