「観光のための文化」から「文化のための観光」へ(6終) ゾーニングの知恵
▼アレックス・カー氏と清野由美氏の『観光亡国論』を読むと、「ゾーニング」という言葉の意味について考えるきっかけになる。
▼「ゾーニング」と「分別」とについて言及している箇所を、大切なところなので、再度引用しておく。
〈清野 日本で「ゾーニング」というと、都市計画法で定める住居専用地域とか、商業地域、工業地域といった「用途指定」のこと、という理解が一般的ですが。
カー それはごく狭義のもので、住居専用といっても、建蔽(けんぺい)率とか容積率とか、数値的な規制でとどまっていますよね。そうではなく、私のいう「ゾーニング」とは、国家によるグランドデザインのことで、文化の価値を見据えながら、どこに何を作るか、作らせないか、作る場合は様式、素材、設計をどのように定めるかーーを決めていくこと。つまり大きな「分別」のことです。〉(175-176頁)
▼ここでカー氏の言っている「分別(ふんべつ)」の特徴は、市場原理にそぐわない、というところにある。
そもそも「分別」は、原理的に数値化できない。
そして、それはたしかに「国家によるグランドデザイン」と親和性が高い。
グランドデザインと呼ばれるものも、市場原理とは明らかに異なる原理によって示されるものだ。
▼この部分を読んで思ったのは、数値化できないものには「価値」を見出さない社会の風潮、「役に立たない」存在には「価値」を見出さない現今の思想が、観光地を空虚な場所に変えてしまうのかもしれない、ということだ。
▼清野氏が、このあと本書の内容をまとめてくれている。文中に出てくる「DMO」とは、さあ観光地域をつくるぞという時に、戦略を立てたり、マーケティングしたりマネージメントしたりを、すべて一手に引き受ける組織のこと。
〈これまでに述べてきたことを復習します。
観光立国に大切なのは、質を追求する「クオリティ・ツーリズム」への転換、「分別」のあるゾーニング、そして「適切なマネージメント(管理)とコントロール(制限)」を目指す、という3つの考え方です。
基本となる理念はDMOと同じで、観光がその地域に利すること。観光が文化をダメにしないこと。そのためのマネージメントとコントロールを創造的に考えて運用しないといけない、ということになります。〉(200-201頁)
▼このシリーズのタイトルを、〈「観光のための文化」から「文化のための観光」へ〉にした所以が、ご理解いただけただろうか。
▼新聞を読んでいると、ここ1、2年、「目利(めき)き」という言葉が気になるようになった。「目利き」という言葉がよく出てくるのは、「見えるもの」と「見えないもの」との関係について問う文脈である。
たとえば「科学立国」を問う時、よく目にする。
▼今回の『観光亡国論』に出てきた「分別」も、この「目利き」と同じくくりの言葉だ。人間の「経験」も、数値化できないし、地域の「伝統」も、数値化できない。
この世界は、数値化できないもので出来ている。「数値」や「市場原理」は、数値化できない世界を守り、豊かにするための道具である、と筆者は考える。
お金の亡者(もうじゃ)たちが、この関係を逆さまにして偉そうな顔をし始めた時、観光地は亡国の入り口になるのかもしれない。
(2019年7月24日)