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「お役所言葉」を読む練習 「人生再設計第一世代」(その2)

▼前号では、竹森俊平氏(慶應大学経済学部教授)、中西宏明氏(日立会長、経団連会長)、新浪剛史氏(サントリー社長)、柳川範之氏(東京大学大学院経済学研究科教授)の4人の名前で提出された、「就職氷河期世代の人生再設計に向けて」という文書について考えている。

その文書のサイトはこちら。

▼必要箇所は前号で引用したので、興味のある人はそちらをご覧ください。

▼筆者は、「いつでも、いくつになっても人生を再設計できる仕組みが欠かせない」という箇所の、「人生を再設計できる仕組み」という言葉遣いに違和感を覚えた。

まず、なぜ「経済財政諮問会議」が、一人の人の「人生」を扱うのか。自分たちには扱うことができると思い上がってしまっているのか。

次に、「人生」は何らかの「仕組み」で「再設計」できるのだろうか。経済や財政によって再設計できるものなど、人生のごく一部にすぎないのに。

流行り言葉の「人間力」や、この「人生再設計」など、すべて「法人」の責任を「個人」の責任に帰していく風潮の現われと解釈することができる。

そして大事なことは、提言した人自身の「人生観」と、ここで論じられている人々の「人生」とは、重なることがない。

▼もしも「人生を再設計できる」として、再設計するのは「その人自身」である。なぜ、慶応大学や、日立や、経団連や、サントリーや、東京大学の人間に、その人の「人生」の「再設計」を云々(うんぬん)されなければならないのだろうか。

反発の所以(ゆえん)は、ここらへんにあるのだろう。

▼2019年5月25日付「毎日新聞」で宮本太郎氏いわく、〈まず問われなければならないのは、たまたま就職の時期に経済が低迷していたからといって、その世代の困難がなぜいつまでも続くのか、ということである。

 この世代の無業・長期失業者のなかでも、半数以上は求職活動をするなど就労意欲がると見なされている。にもかかわらず苦境から脱却できない。そうであるならば、新卒一括採用時にその後が決まってしまう雇用のあり方こそ問題なのではないだろうか。

▼筆者はまったくの正論だと思ったが、どうだろうか。

そして宮本氏は、よく槍玉にあげられる「年功賃金」のシステムを変えるためには「社会保障給付」などのシステムを組み立てる必要性に言及した後、

〈世代の側に責任転嫁せず、このようなトータルな制度再設計をデザインし提起できる行政官、政治家、経営者の第一世代こそ登場してほしい。〉と締(し)めくくる。切れ味鋭い。

▼このコラムの見出しは〈再設計「人生」でなく「制度」を〉。

つまり、正しい言葉を選ぶとすると「制度再設計第一世代」なのである。責任を問われているのは、不安定な雇用に喘(あえ)ぐ人々ではなく、そうした社会を設計した官僚、国会議員、社長、学者の側だ、ということだ。

▼「人生再設計第一世代」という言葉を見た瞬間に気持ち悪さを感じる理由は、この「再設計」は、かつて制度再設計に携わった人々の責任も、いま制度再設計に携わる人々の責任も、ひとつも明確にならない無責任なシステムであることを、問わず語りに告白しているからだ。

しかし、それが国家や企業や大学などの「法人格」の特徴であり、ことさら珍しいものではない。

▼ただし今は、法人が個人にすべての責任をかぶせて恥じない風潮を、「社会」の側が受け入れている。

だから、経団連や東大や慶応、日立、サントリーという日本を代表する名だたる法人から給料をもらうエリートたちが、語るに落ちる「本音」をさらけだしても涼しい顔をしているわけだ。

かつての厚顔無恥が、今は厚顔無恥と自覚されなくなっているのは、それだけ社会が変化した事実をあらわす。

▼「法人」の本質は変わらないが、「法人」の本音が以前より剥(む)き出しになっているところに、この「人生再設計第一世代」という言葉の新しさがある。

(2019年5月26日)

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