「観光のための文化」から「文化のための観光」へ(3) 黒門市場の成功
▼前号は京都の観光名所の2つの悪例、「二条城の襖絵」と「錦市場」の惨状について触れた。キーワードは「稚拙化」。
▼アレックス・カー氏の『観光亡国論』から。
▼スペインはバルセロナの「ボケリア市場」は、〈自撮り棒を持った観光客で埋め尽くされるようになっています。〉ということで、〈地元の人たちは「もうボケリアには行けない」と嘆いているのです。〉(151頁)
▼いっぽう、「なにわの台所」たる大阪の黒門市場は、インバウンドに見事に対応して、観光地化に成功したうれしい例だ。黒門市場の場合は、いったん衰退していたのだが、〈英語や中国語を話せるスタッフを市場に置いたり、SNSにアップされることを念頭に置いたサービスを行ったりした結果、(中略)1日に1万人台だった来街者も、今では2万6000人から3万人にまで増えたそうです。〉
もっとも、一律のマニュアルなどないから、〈もし商店街や市場の側で「稚拙化を食い止めたい」というニーズがあったなら、出店者を厳選して、本来の商業文化、生活文化に合う業者しか入れないといったルールを決めることが必要です。〉(152頁)
黒門市場は、いわば「観光のための文化」ではなく、「文化のための観光」を成り立たせた成功例といえるだろう。「資本主義の論理」とうまく折り合いをつけた、とも言える。
▼オランダのアムステルダムでは、「観光客向けのチーズ屋」を撤退させたそうだ。これは日本にとっても示唆深い実例で、〈ここで売るチーズはオランダ人が日常的に食するものではなく、観光客のために色や形を面白く変えたものでした。日本でいえば「抹茶スイーツ」の類です。抹茶も一見、日本らしく感じられますが、何もかも抹茶で味付けすることはフランケンシュタイン化の一種といえます。〉(153頁)
▼本書を読んで、世の中には「ジェノサイド」などと同じ接尾辞を使った「ユネスコサイド」という術語(=ターム)があることを知った。日本にも無縁ではなく、かなしい実例が紹介されているのだが、ここまでで800字を超えているので、長くなりそうなので、今号はここまで。(つづく)
(2019年7月15日)